Wat velen geloven is niet waar.

嘘、大嘘からの大脱走

お母さんの子どもで良かった、素敵なお母さん、素晴らしいお子さん…そんなふうに思われたくて頑張ってた。

じゃあ、どういう時にそんなふうに感じたり思ったりするんだろう?

それなりに裕福な環境、見た目がいい、勉強ができる、運動ができる、高価なものを持っている、仲が良さそう、余裕が感じられる…

すべてがフラクタル構造で、どこを切り取っても同じ性質や雰囲気が感じられる。世界も社会も家庭も、すべてが虚構。ほとんどが目に見える部分だけ体裁を整えられている。いつ何時でもお好きなだけ、どうぞ隅々までご覧ください、なんて言える人はいない。だってみんな人の目に映る自分の理想像を演じているから。

本当の豊かさなんて十人十色。だけど、これまでは何かみんな共通のものさしを使って押し測ろうとしていた。何となくの理想像や、在るべき姿が自動的に共有されていた。

でも、そうした世界観はまもなく終わりを迎える。

誰にも疾しい、如何わしい、狡賢い感情が沸き起こることがある。でも、同じように慈愛や善意や思いやりに満ちた思案をすることも。すべてにすべてが含まれている。なぜなら、一人一人が大いなる宇宙の一部であり、フラクタル構造を成しているから。つまり、すべての存在はつながり、この大宇宙を創造しているということ。それぞれの識別度合いによって光り輝く愛情深い世界になることも、深淵な真っ暗闇を招くこともあるということ。本来の存在そのものは目に見えない形を捉え難い魂であり、魂は何者にも支配も管理も強制も拘束もされない自由が尊重されている。それぞれが自由意志の中で自分自身を知り、どのようなバランスを保って感情や言動や行動を律するのか、その裁量を担っている。

 

善意や崇高な信仰心を利用されてきた人たち

食事だって、一食一食を感謝して有り難く、美味しい美味しいと愉しみながら味わうのと、平凡なメニューにふてくされながら、当たり前のように食べるのとでは積み重なっていくものがまったく違う。

感謝とか神とか大いなる存在とか言うと、何か宗教っぽくて、説教臭くて、綺麗事のようで、敬遠してしまう人が多いけど、それは多くの政権だったり支配者たちが神や宗教を利用してきたから。大勢の人が救いを求めるような策略、そこに金を介在させて、愛や正直さだけでは生きていけない、お金がすべてではないけれど、お金がなければ何もできない社会を創り上げた。目に見えない存在、当然お金など求めていない神や存在のために、お布施だとか寄付だとか、壺とか玉とか何やかやをパッケージしているのはおかしい。これは単に一部の者から始まったムーブメントが強烈過ぎただけのこと。何をどう言われて脅されたり不安を煽られたとしても、金品を要求したり物を売りつけるような何かに縋ってはいけないし、信じても依存してもいけない。もちろんそれぞれの自由な選択だけど、各自の自由な選択で神不在の金儲け主義に騙されて浪費した人たちがいるからといって、神を否定したり、信じなかったり、敬遠したりするのは間違っている。

神とは慈愛そのものであり、すべての創造主であり、大いなる存在とされている。でも、創造の力は誰しもに齎されている。つまりこれは一人一人の選択にかかっているし、慈愛や善意や思いやりによって平安に保たれる社会も創造できるということ。そしてその世界を虚構のものとするのか根っこや実感のあるものとするのかは、一人一人の意識にかかっているということ。

そのためには自分自身をよく知り、他との差異を比較し非難するのではなく認め合うこと。これだけ外観が違うんだから、さらに複雑怪奇な中身(感情、思考、生理的肉体構造など)が違うのは当たり前だし、理解できないものを理解する必要もない。ただ違っているだけのこと。それぞれがそれぞれの部分を担い、すべてがつながって大いなるすべてを創造しているのだから、波長や振動の合うものたちが集い、また別の調和を生み出し、助け合い、分かち合い、補い合いながら高め合っていけるはず。

私たちは本来の精神性や波長や振動、備わった力に目が向かないように、人種や国や思想や宗教、肌の色なんかで分断されてきた。苦しみや悲しみ、不平、不満、不安、恐怖、憎しみ、痛みに追い込まれて、本質に目を向ける暇を奪われてきた。もちろん、私たちは自由が尊重されているけれど、それはカゴの中の自由だった。でも、映画でもドラマでも漫画でも、善人ばかりだとつまらない。悪役がいて初めてそれぞれなりの関心が生まれ、それぞれの視点で感受し思考した概念が導き出される。そういう意味では現代社会も悪役や蔓過ぎた毒から、それらが残忍であればあるほど、慈愛や善意のような学びや成長を得られるはず。不安や凶悪なことは信じるのに、輝くような善意は信じられないというのはおかしいし矛盾している。物質的な成長はもう十分。これからはそれ以上に精神的な成長を意識していかなければ個人単位ではバランスが取れなくなってしまう。

ただし、精神性を高めなくては、何か慈愛や善意に満ちた行いをしなければ、って頭で考えるのではうまくいかない。それだって逆に自分に不安や恐怖や何らかの縛りを課しているようなものだから。これは感じ取るもの。まずは本当の自分自身の内面に意識を向けて、この世界をどう捉えているのか、どう在ってほしいのかを感じ取ること。そのためには何が好きで何が愉しくて、どんなことが嫌だったり息苦しかったりするのかを知ること。何かおかしいと感じることには迎合せず、他の価値観や既成概念に舵を任せず、自分自身を愉しむこと。

 

重たい鎖から個を解き放つには

これは自分さえ良ければ良いという自分勝手に愉しむということではなくて、これまで曇らされていた色眼鏡を外して、他との違いを認め合うために個の認識を深めるということ。でも、別に何か無理をしたり不安に感じるようなことをする必要もない。まずは高次元の自分自身とつながる潜在意識に問いかけてみよう。寝る間際に、ぼんやりと設問を思い浮かべながら眠りにつくだけでいい。

  • 本当の自分はどう在りたいのか
  • どんな世界に存在したいのか
  • 本当は何をしたいのか
  • 自分の決定権はどこにあるのか、他人の価値基準に依っていないか
  • どんなことにプレッシャーを感じているのか

個の認識を深めるのは、それぞれの魂の喜びや愉しみを認知し、誰もが一人で生きているのではなくあらゆるすべてとつながっていることを感じ取り、それぞれの生まれ持った才能や経験や記憶を取り戻して、互いに助け合い、補い合い、分かち合いながら、結果的に大いなるすべてを高めていくのだということを思い出すため。目に見えない精神性や形のないものから目を逸らしておきながら、私たちは目に見えない制約や縛りによって重く繋がれてきた。だから、まずは個を解放し、軽やかに伸びやかにしなやかに、本当の自由を思い出し、取り戻して愉しむこと。そこから次のステージが自動的に見えてくる。

自分の好きな物事の把握については、ライティングがおすすめです。頭で考えるのではなく、心に思い浮かぶものを思い浮かぶままに綴ってみてください。始めは奇妙な感じがするかもしれませんが、ただ素直にそのまま書き綴っているとそのうちに偏見は離れていきます。これまでのワークもぜひご活用ください。

今すぐできる!自分を知る4つのワーク
  1. 自己認識を深める:https://majolabo.com/wp-content/uploads/2023/10/sfs1_deepen_awareness.pdf
  2. スターシードサイン:https://majolabo.com/wp-content/uploads/2023/10/sfs2_starseed_awake.pdf
  3. 魂の答え:https://majolabo.com/wp-content/uploads/2023/10/sfs3_soul_answer.pdf
  4. 4.私たちを駆り立てるものから解放されるワークhttps://majolabo.com/wp-content/uploads/2023/10/sfs4_freedom_from.pdf

難しく考え過ぎず、気楽に、軽やかに、『本当の自分を知って、実り豊かにこの生命を愉しみたい』という意識を持って、寝る間際にぼんやり眺めて、高次元の自分自身とつながる潜在意識に丸投げしてしまうと、翌朝や数日経ってから突然、思いもよらないひらめきや気付きが訪れるので、おすすめです♪

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