「それにしても、ここでよく聞く慈愛って、善意って、心の中ではそれが正しいって感じ取れていても、多くの人が正直何となく綺麗事のような、偽善のような感じに捉えてしまっているよね。本当は誰もが持ち合わせているものなのに、ほとんどの人がうまく表現できていないし、その言葉を発するのも何となく居心地が悪いと感じているよね。」
いつも通り各々が食後のまったりとした幸せな余韻を楽しんでいると、まだトライブに来て日が浅い縁智樹が口を開いた。
「慈愛は親が我が子に向けるような愛情だ。そうした慈しむような愛を、子や孫や家族や、恋人や友人、一族などという限定的な対象だけでなく、血のつながりや近しさを超えてもっと広く大きな全宇宙すべてのつながりに向けることを言い表している。だってすべてはつながっていて、一つの大家族のようなものなんだからね。善意というのは、自分が人にされたら嬉しいことをして、自分がされて嫌なことは人にしないということ。人種も国籍も宗教も言語も肌の色も種別も関係なく、すべてに我が子を慈しむような愛を持って接し、何かをする時には自分がされて嬉しい方を選択することだ。そうしていくうちに、大家族として互いの才能や智慧によって助け合い、分かち合い、他の幸福を自分の幸福として喜ぶことが全体の真の豊かさや安寧幸福に通じる唯一の道だということを思い出せるはずなんだが、現代社会では感情は思考よりも劣るもの、感情的とは未熟なことなどといって、感情に慣れ親しむ機会を奪ってきたんだ。」
「そうだね。心の中ではそれが正しい、大事なことだっていうのは分かるんだけど、頭ではどうしても、何か実現不可能な理想論のように思えてしまう。気恥ずかしい感じもするし、心の奥底では確信できても大勢の人に向かって大声で叫ぶことはできない。どうせ理解されないし、冷ややかな目で見られたり、浮いた存在になるのも耐えられそうにないしね。」
琉雅やマナスに続いて、今度はサライが会話に参加し始めた。
「そうね。ずっと比較競争や奪い合いの世界にいて、そうした生き方しか知らない人にとっては、いかに他よりも上でいるか、他よりも多くのお金を稼いで、大きな家に住み、どれだけ他よりも高級な車や洋服、鞄、靴、装飾品を手にするかが何よりも重要だったんだものね。そうした社会やそのような生き方をしている大人に囲まれてきたんだから、まったく逆の考えには困惑するわよね。視座は上から下へおりていき、子どもたちの世界でもスクールカーストなどといって周りの子たちの持ち物や身なり、見た目、醸し出す雰囲気などで互いを比較してランク付けしたり、子どもが親の貧しさを見下すような悲しい社会になっている。お金をどれだけ多く稼ぐことができるかどうかだけで物事を測るようになってしまっている。でも、少し想像することができれば簡単に分かるはず。お金さえあれば手に入るものに囲まれて他を見下し、それでも満たされることなく次から次へと多くのお金や物を追い求め、手に入れたものを失うのを恐れるのと、大勢の人に囲まれて富や幸福を分かち合い、心から感謝され喜ばれ、多くの人を幸福にしているのと、どちらが気持ち良いと思う?」
サライは優しさと温かみの溢れる笑顔に慈悲深い眼差しでみんなに問いかけた。
「確かに、そりゃあ、前者は孤独だし、多くを手に入れていてもいつまでももっと多くを求めるように急き立てられて、より多くのものを手に入れようとしたり、手に入れたお金や物を失う恐怖で気が休まらないだろうね。そんなのは幸せじゃない。でも、誰だってそんなことは分かりきっているはずだよ。この質問をしたら誰だって後者の方が幸せだって思うはずだよ。」
と智樹が答えた
「じゃあ、どうして誰もそうしようとしないんだい?」
琉雅はまるで光り輝く宝石を眺めているかのように、その親しみ深い目を眩しげに細めて智樹を見つめた。
「そうなんだよ。誰でも分かりきっているはずなのに、どうしてみんなそうじゃない方を選んでいるんだろう?何か嘘ばっかりで気持ち悪い感じがするよ。」
智樹は小学校二年生の時に学校を辞めたいと言って親を悩ませた。母親は、先生によく話しておくから行ってごらん、途中で帰ってきてもいいし迎えにいくから、などと言って智樹を学校に送り出した。担任も親もまだ幼い智樹をその場凌ぎに取り繕って言い含められると思っていた。担任も頑なな智樹に、学校に来さえすれ授業中に好きなように本を読んでいてもいいからなどと理解を示したが、集団の中で一人だけ好き勝手して好奇の目に晒されるのも何か理不尽に感じられたし、何を勉強するのか、いつトイレに行くのかも決められていて、理解も納得もしなくても時間になれば授業が終わって、何のために学校に行く必要があるのか分からず、時間の無駄としか思えなかった。ただ、先生の言うことが絶対なんだってことが頭に刻み込まれるような感じが耐えられなかった。智樹は次第に朝起きられなくなり、口数が減り、無表情になった。そしてある日、小学二年生の智樹は思い詰めた表情で母親に死にたいと言った。
智樹には四歳上と年子の兄がいた。二人とも仕事に追われて朝晩のわずかな時間しか顔を合わせることのない両親の元で大した慈愛を受け取ることもできず、世の中の常識となっている価値観を肌で感じ取り、奥底の違和感には気付かぬふりをしながら学校に通っていた。智樹は二人の心の声の代弁者でもあったのだった。
「建前は大事、ある子どもたちにとっては最高権威者である教師に学校でそう教えられるね。でもそれは本音を語る者が口にするべきロジックだ。建前は大事と言って、まだ何もかもが不確定な子どもたちに本音を語らず建前だけを教えたらどうなるんだ?建前さえ何とかなっていれば良いということになってしまう。本音なんかに目もくれず、上っ面だけ体裁が整っていれば良いことになってしまう。智樹の学校の先生も、学校に来さえすれば自由にしていていいって、小学生は学校に行くべきっていう建前に忠実に、体裁を整えようとしていた。智樹の本音に寄り添うことなく、集団の空気や周りからの好奇の目に智樹の心変わりや成長を委ねたようにも見える。学校っていうのはそういう狭い規律に縛られているし、ほとんどの教師がそのような学校という狭い社会から一度も出たことがない人間だ。まだ純真な子どものうちに、親以上の権威を持たされた存在に触れることによって子どもたちには強力なバイアスがかかる。そういう教育を受けた人々によって今の社会が成り立っている。どうだ?みんな幸せに生きているように見えるかい?教師は自分の一語一句に責任なんて持っちゃいない。自分が子どもたちにどのような影響を及ぼすのかなんて考えちゃいない。社会はどんどん細分化され、責任の所在を押し付け合えるようになっている。大人たちが責任を取らなくて済むような構造になっているんだ。誰もが上っ面の建前を重視して本音を蔑ろにして、周りに合わせて選択し行動し、そのうちに自分の本音が何なのか分からなくなってしまう。教育としては大成功だろうね。個々の感情よりも大勢と同じであることを自動的に選択する、均質性の高いロボット人間が出来たんだから。」
琉雅は込み上げる怒りを抑えながら、吐き捨てるように言った。
ここにいる誰もが、学校教育の危うさを憂いていた。子どもの居場所なのに、誰も子どものことを本当の深いところまで考えていないし、権威に従い、集団に準じることが正しいのだという偏った思想を刷り込んでいる。誰が?なぜ?何のために?そもそもどうして人間はロボットのように均質性があって、不安定な感情を持たない存在として生まれなかったのか?
「たとえば、最近ニュースに取り上げられている日本の福島第一原発の処理水海洋放出は何が問題だと思う?」
「原子力発電を行なっている国の多くは処理水の海洋放出を行なっているよね。トリチウムっていう一部の放射生物質の含有量ばかりを問題にしているけど、福島第一原発の処理水は原発事故によってその他の放射生物質を含む汚染水なんだよ。廃水中の放射性物質のデータの透明性が不確かで国内外の大勢の人が疑問を持っているし、十分な理解が得られるまで放出しないと公言していたにもかかわらず日本政府はその約束を反故にして放出を始めた。データも不十分なまま裏切られたような状態では国内海外問わず日本政府への不信感は募るばかりだし、近隣諸国でも日本を糾弾する集会を行ったり、輸入規制をかけたりしている。どうしてもっと根底にある問題について議論したり、納得いくまで協力し合って廃水を調べたりしないんだろう?」
明晰なマナスが答えた。琉雅はマナスの問いに答え始めた。
「一つの大前提として、国は人々に気忙しくしていてもらいたいんだよ。最近では光側の高次の存在によってここに集まった君たち以外にも慈愛や善意、真の豊かさや宇宙の真理に目覚めつつある人たちが本当に増えているんだ。誰だって心穏やかに内省すれば、平和や思いやり、互いを尊重し、助け合い、認め合い、信頼し合い、自然を慈しみ、自分も他も、すべてが幸福である方が幸せだっていう共通認識を持っている。でも支配者連中は人々にそんな真実には気付いてほしくないんだよ。支配者が人々を奴隷化するための道具である金をいつまでも追い求め続けてもらいたいんだ。人々が金を追い求めれば追い求めるほど、支配者には金と権力が流れ込んでいくんだからね。人々の興味は世界情勢や国内の政治、健康、スポーツや芸能ゴシップ、さまざまな犯罪が自分たちに危害を及ぼすものでないかなど多岐にわたる。できるだけ多くの人の強い関心を集めるように、日々拡大解釈とも取れるような報道を繰り返して、恐怖や不安や何らかの感情で目の前のことに気を取られて宇宙の真理なんかからは目を逸らしてほしいんだよ。特に近隣諸国との摩擦は、昨今騒がれている有事への懸念から注目を集めやすい。ロシアとウクライナのことも然り。戦争を体験していない人々にとって戦争は未知の脅威なんだ。だから冷静さを失うし、とても心穏やかに内省なんてしていられないだろうってね。だから、本当に問題を解決するような動きをするはずがないんだよ。」
「確かに。政府や権力者が汚職に塗れていることはもう誰もが知っているし、自国の政府を信用できないのに諸外国の国民が信用していない政府や国際機関を盲信するのも道理に合っていない気がする。より大きな権威だからといって、それが信頼に足る理由にはならない。でも冷静さを欠いている中でみんな何かを信じて依存したいんだな。何かあっても大きな権威だし、大勢が信じていたからという言い訳もできる。それに、自分ではどうしたって確認できないわけだから機関に一任するしかないと。これは自分の体のことをよく知ろうともせずに医療に一任しているのとまったく同じ構図だ。確かに、そうやって何でもかんでも疑っていたら何を信じたら良いのか分からなくなるかもしれない。それが多くの人にとってちょうどいい落とし所なんだ。本当はすべての国とすべての生命にかかわる問題なのだから、協力し合って誰の目にも明らかな透明性のあるデータを出していけば良いだけなのに、実際にはそのような形にはならない。国民同士の敵対心を煽り、政府への不信感などあらゆる負の感情に国民を忙しくさせては、また金をチラつかせる。そうした巨額の資金の裏には必ず中抜きが生じている。オリンピックやパンデミックにもこの構図は利用されてきた。人々はいい加減気付くべきだ。負の感情に振り回されるばかりでなく、もっと大きな、もっと広いつながりについて紐づけた、忖度や偏りのない、透明性の高い情報やデータを求めていくべきだということに。そして信じる信じないの前に、本当はもっと一人一人にできることがあるはずだということに。」
晴人も昨今の情勢を思い巡らせながら憤然として意見を述べた。
「どれぐらいの権威があるか、科学的な証拠はあるか、権威のある人が言っていたことと違うから嘘だ、陰謀論だって・・・・一人一人がその人の心でどう感じるか、何を信じるか、どう考えるかは自由であり、その人次第なんだからどうしようもないけど、本当救いようがないよね。『誰が』じゃなくて話の内容が大切なのに、発信者が誰かとっていうところに重点を置いている以上は違う路線上にいるから通じ合うことはできないわね。結局どんな権威者が言ったことだって本当かどうかは確かめようがないんだし。これまで生きてきた中で一人一人の本質を見抜く目が養われていないから、自分の判断を信じることができなくて権威者や大勢の考えに流されてしまうのよね。仕方ないわよ。誰にも何も強制できないんだから。」
ナユタも心底呆れたという面持ちで会話に参加した。
「自分の頭で考えたり感じ取ることを放棄して、大勢や強い権力に勝ち誇ったように薄ら笑いを浮かべ、少数派の意見や権威性のない側を鼻から否定して小馬鹿にするなんて、まったく愚鈍の極みだね。よく分からないデータをただ鵜呑みにして、権威者が科学的だって?感情が非科学的だって?実際には世界が絶滅するほどの争いは感情によって引き起こされるんだよ?誰も自分の目で見ても触れてもいないデータに何の信憑性もないことは明らかだ。そんなものは単なる火付け役に過ぎない。どうしていつまでも分かってくれないんだ?なんでいつまでも攻撃してくるんだ?そうやって攻撃に迎撃を重ねていくうちにやがて取り返しのつかない大きな争いになるんだ。もっと平和的に、互いの感情に寄り添いながら対話をして、協力して解決の道を探るべきなのに、国民性の違いだとか、歴史的背景だとか、文化がどうとかいって最初から諦めている。現代社会では争いや問題が利益を生み出す構造になっているからね。さて、これは結局どこにその利益が転がり込むシナリオなんだい?」
「海は全世界につながっている。ましてや近隣諸国では、同じ海の同じような場所で漁をしていて中国や韓国の漁師の獲ったものはOKで日本の漁師が獲ったものは食べないなんていうのは本当に意味が分からない。だから本当はデータがどうとか放出量がどうとか、そういうことじゃないんだ。感情の問題なんだよ。誰でも行き場なく昂った感情は収める矛先がなくて引っ込められなかった経験があるはず。あれだよ。両国民の溝を深めるには、事前に教育によって奥底に偏見を植えつけ、必要な時に感情を煽ればいい。それだけで人々の心に簡単に火がついて、恐怖や怒り、不安によって簡単に人々を束ねることができる。自国と他国、古くからの相容れない関係性。でも、そのために歴史が歪めて伝えられていたとしたら?タイムトラベルでもできない限り本当の歴史を知ることは誰にもできないし、権威のある人や影響力のある人が言うことが正しいと鵜呑みにしてしまうんだから、事実とは異なる加工した歴史を伝え広めるのは簡単なことだ。もちろん、事実は人の数だけあるとも言える。それぞれの解釈によるものだし、その人の感情や経験や記憶が反映されるものでもあるんだ。」
琉雅の問いかけに晴人が応じた。
「元々国はなかった。国境はなかった。宗教はなかった。民族はなかった。言語も肌の色の違いもなかった。そして、人は壁に突き当たって、苦しみに思い悩んで、迷ってみないと道を探せない。」
右京の穏やかな声が優しく響き渡った。
「日々倍増する情報は、人々に何が本当なのか精査する暇を与えません。お金にも権力にも、どこにも、何にも忖度しない高次元のスーパーコンピューターでもない限り、誰にも真実の情報のみを見聞するのは不可能です。であれば、情報を追い求め続けることにはそこまで意味はありません。拠り所とか落とし所とか、そんなものに縛られていてはいけません。現状の人間の精神性やお金、権力へのエゴや強欲によって生み出されたものは、たとえどんなに高性能なAIでも、人々の内面の大いなる宇宙すべてとつながる魂の、お金や権力や、あらゆる忖度に結びつかない慈愛や善意には絶対に敵わないのです。なぜなら、AIは闇側が人々を束ねるために放った新たな刺客であり、支配者や権力者たちに都合の良いデータしかプログラムされていないからです。ですから私たちは、世の中の茶番に引き摺り込まれることなく、できるだけ心穏やかに内面に目を向け、耳を傾け、慈愛や善意などの光の方向に精神性を高めていくことを意識していくことが大切なのです。」
「それに、もしもの時には金なんかただの紙屑同然で、巷に溢れかえっている物だってそのうちきっと何の役にも立たなくなる時がくる。すべてのつながりを心の奥底から認識して慈愛と善意で分かち合える精神性の高さと、駆けつけて助け合える心身の健康がもっとも大切なんだ。だから、僕たちはここで英気を養い、心身を整え、精神性を高めながら、この世界がより大きく広がるように尽力していこう。」
そこにいる全員が、互いの会話やこれまでの学びに清々しく決意を新たにしていた。
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