Vol.2 現実夢幻

ある日、珍しく朝早くに目を覚ました晴人は散歩に出ていた。
子どもの頃によく遊んだ近所の公園の前を通りかかり、頭の中に懐かしい思い出を探りながらベンチに腰掛けた。

クマゼミの鳴き声が響き、小鳥たちが蝉の声に競うように囀っている。
夏の盛りに一直線の7月半ばの早朝は、まだほのかに涼しい風が心地良い。
しばらく目を瞑って夏の早朝に耳を澄ましていると、ふと風の揺らぎを感じて晴人は目を開いた。隣に見慣れない風貌の青年が座って目を瞑り、晴人のしていたように自然の音にじっと耳を傾けているようだった。

ん?足音も人の気配も感じなかったけど、いつの間に?どうやって?
晴人の視線に気付いたのか青年も目を開けて晴人の方を見た。

「ああ、邪魔をしてしまいましたか?すみません。何だかとても気持ちよさそうだったので・・・・」

上下とも光沢のある滑らかそうな白い布地に上品な金色の刺繍が施された衣服を纏った青年が晴人に向かって話しかけた。肩より少し長めのサラサラヘアーは美しい銀髪で、澄んだ瞳は陽光を反射してシルバーのようにも水色のようにも見える。目尻が下がり口角がキュッと上がった悪意を微塵も感じさせないハッピーフェイスは、晴人の警戒心を瞬時に解き放った。

「いえ、少し驚きましたけど、大丈夫です。」

と晴人も自然とにこやかに受け答えをした。

「ここにはよく来るんですか?」

青年は懐かしさや親しみを感じる善良そうな眼差しで晴人に尋ねた。どう見ても日本人には見えないが、なんて流暢に日本語を話すんだろう?それになんて穏やかで心地良い声だろうと驚きながら、

「いえ。こんなに朝早くに目が覚めたのも、散歩に出たのも、この公園に来たのも久しぶりです。」

と答えた。青年はニコリと優しい笑みを浮かべて、

「そうですか。」

と言った。

「ところで、ちょっとこれを見てくれませんか?」

そう言うと青年はこの公園に来る途中で拾ったのだという石を晴人に見せた。二.五センチ角ぐらいの整っていない正八面体といった形状のその石は、パッと見たところ地味な灰色の石ころのようだったが、手のひらで転がされると透き通って見え、中に虹のような、オーロラのような鮮やかな輝きがほんのりと浮かび上がる見たこともない不思議な石だった。手渡された石をまじまじと見つめてみると光の角度によって水色や黄色や黄緑色に輝き、軽く握ってみると晴人の手のひらにすっぽりと収まり良く、角の部分が心地良い刺激を与え、ひんやりとした冷たさの中に何か躍動感のようなものを感じる何とも風変わりな石だった。晴人が石に見惚れて握ったりさまざまな角度から輝きを楽しんでいると、

「それ、差し上げます。」

と青年が言った。

「え?でも・・・・」

「拾ったものですがとても気に入られたようですし、このご縁の印にぜひ。」

青年のすべてを見通すような透き通った瞳と屈託なく包み込むような笑顔に晴人はたじろぎつつ、しばらく思案しているうちに結局そのまま石を受け取ることとなった。

石か、石ね・・・・拾った石って持って帰ってもいいんだっけ?でも、自分が拾ったものじゃないし・・・・と晴人が石を眺めながらあれこれ考えを巡らせていてふと気付くと、青年は忽然と姿を消していたのだ。

ええっ!いないし・・・・

というわけで、晴人は一旦その石を持ち帰ることにしたのだった。それから数日後、晴人はまた、現実夢幻の中にいた。

「外見や環境や状況という外側に向いている意識を内面に向けて、内なる自分を見つめてみてください。あなた方の知りたい答えはあなた方の内面にあるのです。」

まどろみの中で、聞き覚えのある何とも穏やかな声がこだますように頭と心に響き渡った。

「むやみに他を傷つけることや倫理に反することでない限り、君たちの自由意志は尊重されています。それぞれの目的によっては時に闇側に傾倒することもあるかもしれません。それでも根底にある慈愛や善意などの光の感情を見失ってはなりません。君たちの意図では、あくまで光をベースとして闇を平定する必要があるのです。」

君たち?君、じゃなくて、君たちだって?晴人は目を閉じたまま周囲を探ったが、誰かがいる気配は感じられなかった。闇とか光とか、いったい何のことだ?そもそも一体誰なんだ?次第に意識が遠のき、晴人は深い眠りに落ちていった。

「大いなる宇宙は『ひとつなるもの』から個に分裂し、精神的生である魂と素粒子によってそれぞれが叡智を獲得してはまた『ひとつなるもの』に戻っていく、そうした変容と循環によって営まれています。魂というのが受け入れ難ければ意識や精神と置き換えても構いません。有象無象すべての源は素粒子であり、人類も動物も、植物も無生物も、地球も宇宙そのものも、あらゆる万物が素粒子を共有している、いわば一つの大家族のようなものです。それぞれが大いなる宇宙全体の部分を担い、それぞれの意図によって進化し発展することによって、宇宙全体の進化や発展に寄与しているのです。地球であれ他の惑星であれ目に見えるもの、形あるものの認識を要する世界に人間として降り立つ魂は、その生涯の中で獲得すべき叡智を意図として潜在意識の中に思い描き、素粒子によって形成された肉体と、光と闇、陰と陽、善と悪などありとあらゆる感情、そして自由意志が齎されて生まれます。それぞれの境遇の中で揺さぶられ、視覚、聴覚、嗅覚、味覚、触覚という五感によって自由に感受し、思考し、選択し、行動しながら生き、さまざまな経験からあらゆる叡智を獲得して死ぬ。自由意志が尊重されているとはいえ、いつまでも外見や環境や状況などの外側ばかりに意識が向いていれば、生まれ持った意図に気付くことができずに生涯を終えることもあるのです。では、人間の魂は一体何によって揺さぶられ、何が外側に意識を留めようとしているのでしょう?」

のどかな温かみのある草原の香り、柔らかな日差し、小鳥の囀りや木々の葉のざわめき、清らかな小川のせせらぎ、柔らかな風のそよぎ。都会の喧騒や、自動車やバイクや工事の雑音とは無縁の自然豊かな世界で、晴人とナユタとマナスは、引き続き心地良い声に耳を傾けていた。

ナユタ?マナス?現実夢幻のその世界の中で、晴人は当たり前のように二人と仲良く自然に微笑みあっていた。とても親しい間柄で、旧友のような懐かしさも感じられるが、ふと我に帰ると、出会ったこともない二人のことも声の主のことも誰だっけ?となるのであった。

「あなた方の存在している地球は、点と線と奥行きと時間軸によって構成された四次元の世界です。点と線と奥行きで構成される立体の物質性世界の三次元的要素に時間軸が加わった世界で、人々は物質的なものと時間に強く囚われています。魂は感情に基づいて思考し行動します。
光の感情とは、慈愛や善意、思いやり、宇宙の真理に基づく自愛と他愛の調和を望みます。
闇の感情とは、強欲や傲慢、矜持、虚栄、不安など、自己中心的な執着に向かうものです。
生命エネルギーには容量があり、宇宙の法則やリズムの原理が働いています。
光が強いほど、その賢明さによって深い闇を受け止めることができ、
闇が深いほど、その狡猾さによって強い光を装うことができます。
つまり、感情は思考や行動を司る、生命エネルギーそのものですが、現在の地球では物質や時間がそれぞれの存在にとても大きく作用しており、そのアンバランスが精神性や内面へ意識が向かうのを阻んでいるのです。」

「あなた方はお金や物質に支配され、生まれてから死ぬまで食いつなぐだけのサバイバル的な生活にとらわれていて、生まれ持った才能によって分かち合い、助け合い、支え合い、感謝され、喜ばれるという機会は奪われ、人生を謳歌する喜びも、生まれ持った意図を成し遂げる達成感も味わうことができない状況に追いやられています。宇宙などという広く大きなスケールで物事を見聞しようとすれば何か頭のおかしい変人のように扱われ、地球や国や、あるいはもっと身近な社会や地域といった狭小の世界に閉じ込められているのです。目に見えるもの、形あるもの、五感によって捉えられるもの、物質やあらゆるものに外側を覆い尽くされた人々は、狭い世界の中でお金や物質を追い求めることにその生涯を賭すシステムに組み込まれており、もっと広く大きなつながりの入り口となる内なる自分に意識を向ける心の余裕も時間も失われているのです。むしろ、せっかく手に入れた肉体を享受すべく物質的なものや外側に囚われやすい状況が意図的に作り出され、利用されています。物質的なもの、外側のものへの執着を経験することによって改めて慈愛や善意による調和や内面の大切さに気付く者もいれば、強欲や見栄や矜持に溺れてより多くの物質や外側を着飾るものばかりを追い求める者もいます。それぞれの生命エネルギーの容量や度合いが違うために、ちょっとの闇に触れるだけで光に目覚める者もあれば、深淵な闇に落ちるまで気付かない者もあるでしょう。しかし、陰が極まれば陽となり、陽が極まれば陰となるという東洋に記された理が表すように、宇宙の法則やリズムの原理によって絶え間なく変容を重ねている中で、闇への行き過ぎた傾倒は大いなるつながりの光の働きかけを導き、不自然な世界に違和感を感じ、虚像に気付き、目覚める存在を増幅し、さらに闇を強めるという混沌の状況となっているのです。」

「個の進化や発展が大いなる宇宙の進化や発展に寄与する中で、それぞれの魂が思考し行動する時に、潜在的に光の感情を選択して自らを律するためには闇についても知る必要があります。深淵な闇を知らなければ、眩い光を知ることはできません。光と闇は表裏一体でもあり、闇の存在が光をより光輝燦然たる存在とするのです。強欲、矜持、虚栄、恐れや不安、妬み、嫉み、恨み、偽り、裏切りや欺きといった感情や、肉体やあらゆる物質への執着という経験を経て、慈愛や善意、思いやり、平安、安寧幸福の美しさや素晴らしさをその心髄に刻み込むのです。そうした叡智を獲得しながら次元や密度を上昇した存在や、他の幸福を己の悦びとする高次元の存在がポジティブな振動や、すべてを慈愛や善意によって優しく包み込む意識を宇宙全体に送り続けているのです。しかし、そのような存在に到達するまでは、光が強く明る過ぎても、闇が深く暗過ぎても心地良くはないでしょう。闇は存在しますが、それらができる限り他を著しく傷つけて害することのないように、個人レベルで光が闇を上回る精神性を育み、行き過ぎた闇に気付き、決して屈せず、心で断固とした拒絶をする軸を取り戻す必要があります。一切の闇が不要ということではなく、暗澹冥濛とした行き過ぎた闇に傾倒しないようにそれぞれが内面に向き合ってバランスを保つことを心がけ、光の感情で闇を律する術を身につけることによって、宇宙はより複雑で豊かに進化し発展していくのです。

光や闇の度合い、それぞれが存在する次元や密度を比べることには何の意味もありません。周りを見渡せば影よりも明るく照らされているところの方がずっと多いのです。自己への奉仕の力は慈愛や善意や思いやりに満ちた他への奉仕の力よりもずっと弱く、だからこそ大いなる宇宙には闇が存在していても光の方が上回っているのです。案ずることなく、それぞれの内面に深く向き合い、意図を思い出して進化し発展してください。感情と思考と行動が一致し、それが光輝くものであればそれが他の気付きに貢献するかもしれません。何も無理して表立って大きな行いをする必要なないのです。いつまでも気付かず、目覚めずにいる存在は相応の巡りを繰り返しながら、それぞれのペースで進化し発展していくだけのことなのです。」

「・・・・さまざまなしがらみや制限の多い地球では孤独を感じることもあるかもしれません。魂はそれぞれの意図を持って一人で世に誕生したのに、学校教育や社会などの集団生活に同調圧力を刷り込まれ、周りに合わせて馴染んでいれば安心、大勢の中にいれば安全などと思い込まされているので、ちょっとでも一人になると不安で寂しさを感じてしまうのです。本音で通じ合えているわけではない手頃な誰かや何かに依存し、それらが側にいなければ幸せではないような錯覚はもはや中毒です。人間というのは本来一人でいても楽しみや幸せを感じながら自分を高め、他者に良い気の巡りを伝播させることで互いに高め合える存在なのです。逆にずっしりと重苦しい気を背負って不機嫌な人がいればほとんどの人がその気を察知してその場から離れるではありませんか?そもそも大勢の意見に従って流されながら、内面に目を向けて精神性を高めることもなく、狭小な行動範囲のままで真に心が通い合う相手が見つかることの方がむしろ奇跡。もちろん、何らかの意図によってともに降り立った仲間は少し手を伸ばせば届くところにいるでしょう。気付きや目覚めを求めて精神性を高めることによってこそ、ともに向上する仲間と巡り会えるというものです。まずは生まれ育った境遇で触れる闇から、小さな気付きを得ることです。心の声に耳を傾けて考えることです。そして、いずれすべてとのつながりを思い出すことができた時、自分は孤独などではないことを感じ取れるでしょう。」

「・・・・生涯においてそれぞれが思い描いた叡智をどこまで獲得できたかが、地球と地球に降り立つ魂、万物を形成する素粒子に大きく影響しています。すべては地球的集合意識でつながっており、それぞれの感情や思考、直感や閃きなど、あらゆるすべては共有財産なのです。人類の進歩はなぜ頓挫しているのでしょう?それは権力を握り、文明を発展させようとする人々があまりにも稚拙だからなのです。物事をあまりにも平面的にしか捉えることができず、というよりも自分たちの作り出した物質消費社会の奴隷となってしまって金や権力に縛られすぎて現在置を正しく認識できていないのです。目に見えるもの、形あるもの、データや科学的根拠などという限定的で曖昧なものに縋り付いて突き進んできたために、もっと広く大きなつながりを感じ取ることができず、それらを未知なる恐怖と捉え、宇宙的集合意識につながることができないのです。低次元のまま宇宙的集合意識に存在する高い科学技術を手にしても、それは大いなるつながりに活かされず、個人的な執着に向けられてしまうでしょう。それどころかその個人が神の力を手に入れた特別な存在だなどと錯覚してしまいかねません。魂の想念は大いなるつながりに影響を及ぼし、不調和を引き起こすものなのです。つまり、ある一定のレベルに到達しない限り、高度な文明や技術には決してたどり着くことができないのです。そうでなけれはつながりによって大いなる宇宙にまで危険が波及しかねないからです。・・・・地球は次元上昇の時を迎えています。富や権力を独占しようとする支配者の強欲が地球的集合意識を闇側に大きく傾ければ、必ずそれに抗う燦然たる光が現れる。闇と光の強大なうねりに流され、呑み込まれそうな中で多くの存在が魂、すなわち意識と肉体と感情の融合体であること、そして光と闇の経験を重ねて宇宙の真理に目覚め、大いなる宇宙全体の進化と発展のためにそれぞれの精神性を向上させるという、地球に降り立った意図を思い出し始めているのです。」

晴人は現実夢幻から目覚めて気付くとベッドの上に横になっていたり、部屋の中で本を読んでいたり、誰かと一緒に何かに耳を澄ませていたような気がするのにそこには誰もいないのだった。たびたびそのような現実夢幻を繰り返しながら、晴人は夢とも現実ともおぼつかないつながりを感じ取り、無意識のうちに、思考とも思案とも言い表せない、意識の巡りに耽るようになり、石の存在のことも不思議な青年のことも、忘れてしまっていた。

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