我が子をかわいいと思えていれば幸せ

『我が子をかわいいと思えていれば幸せ』
 
 
この言葉は、3人の幼子を抱えて母子生活支援施設に暮らしていた10年以上前、資格取得のための研修で出会った方に言われた言葉。
 
 
たぶん暗い表情で溢れた不安を漏らしていたであろう私に、初対面でたまたま同じグループになった方がかけてくださった言葉です。
 
 
この言葉にこれまで何度も救われてきたなぁと、ふとした時に思い出します。
 
 
不登校グループの投稿を読んでいると、タイムマシンに乗っているかのように、これまでの感情や出来事を行き来します。
 
 
思い出して、辛く苦しくなるけれど、その経験がなければ自分ごととして真剣に向き合うことも、考えることも、感情が揺れ動くことも、学ぶこともなかった。
 
 
頭では少しずつ分かっていても、辛くて苦しくてどうしようもない時には足元しか見えない。
 
 
自分のこれまでの経験や価値観でしか物事を捉えられず、学校や周りの友達が基準になっていて、一番大切な子どもの気持ちに気づけず、寄り添えない。
 
 
子どもも苦しい。でも親も苦しい。親だって大人だって完璧じゃないし、子どもは親の一部で、親は子どもの一部だから、お互いに締めつけあって、すべてから押しつぶされそうになる。
 
 
周りが見えなくなって、なんで自分だけ?どうしてうちだけ?何がいけなかった?どうすれば良かった?と自分を責めて余計に苦しくなるし、そんな親を見て子どもも自分を責めて苦しくなる。
 
 
でも、我が子をかわいいと思えているから私は幸せなんだという思いがあったから、自分を信じることができたし、そこに小さな光を見出し、大切な教えに出会い、子ども一人一人の持って生まれた尊い輝きを再認識して、穴から這い出ることができたように思います。
 
 
魔女の宅急便に出てきた女の子ウルスラの言葉が想起されます。ウルスラは13歳になって魔女の修行に出てきたキキが出会った新しい友達で、絵描きをしている19歳の女の子。空を飛べなくなった時に、ウルスラがキキの元を訪れてお泊り会をした夜。絵描きの才能と魔女の才能について語り合うワンシーン。
 
 
飛べなくなったキキにウルスラは、「ジタバタするしかないよ。」と言います。
 
 
それでも飛べなかったら?と更に問いかけるキキに、「描くのをやめる。」と。
 
 
キキと同じくらいの頃に絵描きになったウルスラは、もう何年もそうやって挫折やスランプなどの苦しい時を乗り越えてきたのでしょう。その潔い答えに、それらの経験を乗り越えてきた力強さを感じます。
 
 
もがき苦しみ、ジタバタするしかない時もある。それでもダメなら潔く『何もしない』。
 
 
子どものこと、現実では手放すのは容易なことではないけれど、でも、考えて、考えて、考えて、それでも答えが見つからない時には、一旦離れてみる。何か自分が集中できるもの、音楽を聴くでも映画を観るでも、本を読むでも、ゲームをするでも、何でも。自分の中だけでぐるぐるしているものから離れて、別の新しい風を入れてみる。
  
  
アインシュタインの言葉にあるように、『問題が起きた時と同じ意識レベルでは、その問題は解決できない』
 
 
人は辛く苦しい経験から多くのことを学んで進化する。何とかしたいっていう強い気持ちでいっぱい考えたら、一旦離れて頭を使わずにぼーっとしていると、自分の中の潜在意識が考えをまとめて新しい答えを導きだしてくれるはず・・・
 
 
この子は世界でたった一人。この子の母親は私一人。私は私でいるしかない。誰かにはなれないし、ならなくて良い。この子にしかできない、私にしかできない何かは絶対にあるから。
 
 
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