知人の息子さんが亡くなりました。
4年ほど前の話です。
思うところがあり、初めて言葉にします。
知人は職場のパートさんで、長男・次男と同い年の息子さんのお母さんでした。
長男のAくんは、小学校4年生頃にささいなことでいじられるようになり、その場では何となくおちゃらけながらやり過ごすものの、家に帰ってくると落ち込み、食欲不振になり、からだが溶けているかのようにダラダラして、お風呂に入ったり歯磨きしたりするのも逐一声かけして促さなければならないような状態。
朝は起きられず、徐々に登校渋りが出るようになりました。彼女は出勤時間をずらして、Aくんと一緒に登校し、Aくんが望むからと教室まで付き添い、「お母さんはここにいるよ、ここで見てるよ。」と伝えながら、時には給食前まで見守っていたそうです。
そのような日々が半年ほど続いて、少しずつAくんもいじられなくなり、行き渋りもダラダラと溶けたような様子もなくなり、朝起きて自分で学校に行けるようになりました。
お母さんは子どもにゲームをやらせたくないという考えでしたが、Aくんが6年生の時に再び行き渋り始めた時に、お父さんが交換条件のような形で携帯ゲーム機を与えたそうです。
厳しい教育方針を持つお母さんはきちんと時間を決めてやるように約束し、守れなかったときにはゲーム機を取り上げたり、テレビのリモコンを隠したりしていましたが、お父さんが特別ルールを作ってはスマホでゲームをやらせたりしていたそうです。
結局、朝起きられない時には、またお母さんが自転車に乗せて教室まで付き添い、日によっては給食時まで見守りながら、何とか無事に卒業式を迎えました。
日頃は節約家の彼女ですが、卒業式には早朝から着付けに行き、メイクとへアセットをしてもらい、晴れやかな姿で出席しました。Aくんと共に通い、乗り越え、一緒に卒業する感覚だったそうです。
卒業式の家族写真には、綺麗な着物姿の彼女の笑顔が光り輝いていました。その時の私には、まさか自分の子どもが不登校になるなんて思いもせず、そこまでして学校に通わせ続けた彼女をスゴいと思ったし、もしも自分の子どもが不登校になったら、周りの目を気にせず子どもを自転車に乗せて学校まで送り、教室の後ろで一人で子どもを見守り続けるようなことができるだろうか?と考えたりもしました。
中学生になったAくんですが、GW頃からまたダラダラと溶け出し、朝起きられない日が続くようになりました。彼女は大きくなったAくんを華奢なからだで立ち上がらせて、小学生の頃と同じように自転車で学校まで送り、教室の後ろの方で見守り続けました。
どうしてそこまで学校に行かせたいのか?私たちの子どもの頃とは違って、今は他にもいろいろな選択肢があるんじゃないか?と聞いてみたことがありましたが、彼女の答えは、
「そんなことは考えられない。」
でした。
彼女の世界では、自分の生まれ育った経験がすべてであり、当たり前であり、普通に学校に通い、卒業し、進学し、就職し、結婚し、子を産み育てていく以外の選択肢がなかったのです。
シングルマザーで朝から晩まで働いても、心もからだも、お金の余裕もなく、子どもたちを放ったらかしで、狭くて掃除も行き届かない家の中、それでも学校に行き、習い事に行き、たまには手伝いもしてくれる子どもたちにただただ感謝するしかない私は、彼女のAくんを思う気持ち、立ち直らせたいという強い意志、ブレない価値観を見習わなければいけないな、と尊敬するところもありました。
でも、実際に我が子が不登校になるなんて思いもしなかった私は、心配だけど、時期がきたら行けるようになるんじゃないか、そんなに無理に行かせる必要があるんだろうか?まだ幼いからだで、渾身の力で拒絶しているのに、時には脅し、力づくで引っ張っていくのが、本当にAくんのためになるんだろうか?という思いもありました。
ただ、家庭ごとの考え方や方針もあるし、口を挟むことではないので、そこまで伝えてはいませんでした。
冬休みが明けて1週間が経った頃の朝、彼女がいつものように起きてこないAくんを起こしにいくと、そこには冷たくなったAくんがいました。
もう2度と目を覚ますことはありません。
死んだら終わりです。もう何もできない。
自分のできる限りの方法で学校に行きたくない思いを表現したのに、かき消され、追い詰められ、奪われた思い。
傷はきちんと修復しないと治らなくなる。誤魔化したり、間違った治療法では腐ってしまう。
私にとってAくんは、氷山の一角です。救いたかったし、救いたい。
もしもあなたが同じような状況にあるなら、手遅れになる前に伝えたい。あなたの子どもを救えるのはあなただけ。子どもの幸せの境界線はあなたです。
このようなことでお悩みの方へ
我が家は、三男が小2の頃から不登校気味になり、長男が中2から不登校になりました。初めは受け入れられず、自分を責め、子どもを責め、仕事に逃げ、互いに傷つけ合う中で、知人の子どもの死や、さまざまなご縁があり、学んだこと、感じたこと、それらを組み合わせて実践を繰り返しながら180度真逆というぐらい大きな思考の変化を実感しました。
何とかしたい、どうにか状況を変えたいと思っても、気力も体力も尽きて身動きが取れなかった私や友人たちが、本当に身近なモノだけで、あんなに悩み、苦しんでいたことから嘘のように解放され、すべてを受け止め、晴れやかな気持ちで子どもたちと接することができるようになり、そこで初めて、子どもたちが安心して内省しながら充電を開始し、不登校を脱却した方法の最初の第一歩をこのレポートにまとめました。
どこの家庭にもある3つの身近なモノで、親も子どもも肩の力が抜けて、人間関係の煩わしさや社会のしがらみ、息苦しさから解放され、生きやすくなった方法に興味はありませんか?
うつかもしれない、起立性障害かもしれないと思い悩み、憂鬱な気持ちで心療内科を予約し、不安で押しつぶされそうな子どもを連れて何時間も病院の待合室で過ごす前に、
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