もう10年以上前のことです。
幼い3人の子どもと私だけで、遠方の親戚の家に遊びに行くことになりました。
それまで、日中のスーパーや公園など以外に私と子どもたちだけで、どこかへ出かけることなど思いも寄らないことでした。どうしてそのようなことになったのか詳しくは覚えていません。元夫のDV下(暴力、経済的、精神的、性的)の中で、子どもたちと穏やかに過ごせる日中の時間だけが心の拠り所で、それ以上を望むようには思いは巡りませんでした。
意識すらしていませんでしたが、今思えばまったく疑う余地もなく、『私なんか』、『私さえ我慢すれば』、『私が悪い』、そんな風な感覚が染みつき、元夫がいる場では、何を話し、何を考え、何に笑うべきなのか分からなくなり、自分を見失い、表情をなくしていました。
今振り返ってみると、山場には必ずキーパーソンとなる人とのご縁がありました。
当時は、長男の喘息や三男のアトピー性皮膚炎を通じて自然療法に出会い、長男と同じ幼稚園の、同じ『自然派』のお母さんたちとのご縁がつながり、定期的に各々の家に子どもを連れて集まるお茶会がありました。
幼少期から、元夫と出会う前の、社会人として勤めている頃までは、いわゆる「女子グループ」みたいなのは苦手で、特定の少ない人との深い付き合い以外は、広く浅くでも「学年全員友達」のような付き合い方をしていたので、それなりに自分の考えを持ち、でも時と場合によっては人に合わせ、そこまで強いこだわりや分け隔てはありませんでした。
が、元夫との生活が続くにつれて、真逆のような人間になったのです。
自然派のお母さんたちとの集いも、初めは能面のような表情で、顔がこわばっていて不自然な笑顔だったような記憶があります。
今思えば、よく懲りずに声をかけ、集まりやいろいろなイベントにも誘ってくれたと本当に感謝しています。
それぞれの家庭の話し、子どもの話しを時には冗談を交えながら、面白おかしく話してくれたお母さんたちのおかげで、徐々に打ち解けることができました。
それでも、自分のことは、『どうせ私が悪いんだから』、『理解してもらえない』、『離れられてしまうかもしれない』・・・そこまで慮ることができていたか疑問ですが・・・、とにかく打ち明けられずにいました。
ある日、一人のお母さんが、
「何かあるんでしょ?話してみな?」
と水を向けてくれました。
流れが滞っていた淀みに、小さな波風が立った瞬間でした。この頃、やたらにRipples(波紋)という言葉に強く惹かれていたことを覚えています。
ぽつりぽつりと、初めはまるで他人事のように「仕方ないよね」という感じで話し始めました。
でも、
「それはおかしいよ!」
と一人のお母さんに言われて、ハッと我に帰り始めたように思います。『私が悪いんじゃない』、という小さな確信が芽生えた瞬間でした。
この時から少しずつ歯車が回り出し、新しい方向へ向い始めたのだと思います。
疑念と共に少しずつ元夫から離れる方法を模索し始め、動き始めると少しずつ新たな後押しとなるものとのご縁がつながっていきました。
その後の経緯も次回詳しく書きたいと思いますが、結果的には、まったく予期されることなく、子どもたちを連れて家を出てから10年以上、元夫に直接顔を合わせることも言葉を交わすこともしていません。
どん底だったと認識できたからこそ、あとは良くなるしかないという確信が持て、自分に向き合えたからこそ、向かいたい方向、向かうべき方向が見えたのだと思います。
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お話しする中で、多くの人が日々の『現実』に追われて、自分を見失っていました。見て見ぬフリ、気づかないフリをしていたり、向き合うことを避けていました。
自分の現在地を直視し、どん底であることを認識しない限り、やるべきことも本当に在りたい姿も見えてこないし、思考も感情も行動も、何一つも動き出しません。
できる限り自然なモノのチカラで子どもたちのアレルギーを治め、どん底から這い上がるチカラを取り戻して自分に生まれ変わった方法を、直接無制限サポートつきでお伝えしています。
上部だけを取り繕うような、その場限りの表面上のお付き合いはできません。本気で何かを変えたい人だけに全力で真剣に向き合っています。
どん底は最強の武器になります。
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