切り替えスイッチと奇跡を起こす魔法の3ステップ

相容れない相手とは

兄弟だから、親子だからって、分かり合えないことも受け入れ難いこともある。でも、すべてを愛して受け止める必要なんてない。

他から見たらそれほどの大声じゃなくてもうるさく感じてしまったり、そんなつもりはないのに悪く捉えられてしまったり、ちょっと当たっただけで癇に障ったり、相性によって同じ言動や行動がまったく伝わらない・・・・成長と共に、和らいだり相性の変化は見られるけど、一時期は1言っただけで10の暴言が返ってきたり、ひどく理不尽で強く心を抉る言葉に涙が流れ、血を見る兄弟喧嘩に胸苦しく食欲をなくし、何をどうすれば良いのか考えるのにも疲れて、もういなくなりたいと何度も思った。思春期の子どもたちはそれぞれの友人関係、恋愛、興味、関心など、外の関わりの影響も大きくなる。家族内の誰かが何かをしたわけではないのに機嫌が悪くてイライラしている。狭い家の中の空気は誰か一人の不機嫌によって簡単に重たく、暗くなる。穏やかな会話が微笑ましいと思っていたら、何が原因だか分からない揉め事が勃発している。子どもたちはまだまだ、自分の機嫌の取り方が下手だ。

兄弟だから、家族だから、親子だから、歳上だから、察してくれるはずという甘えもあるかもしれない。ずっと幼い頃にはとっても穏やかでいつもニコニコしていたのに、今じゃ常に不機嫌だったりする。魂の年齢と地球上での年齢はまったく違う。それぞれの経験や記憶がいらない情報によってかき消されたり、上書きされたり、『普通』に暮らしていると膨大な量の不要な情報やデータを詰め込まれてしまっている。

パソコンでも家の中でも頭の中でも、いらないものはどんどん消去したり断捨離して、生っ粋の状態を取り戻す必要がある。他よりも前に自分自身の内面に目を向け、耳を傾け、心を寄せて、常識や既成概念、他者軸などから切り離した本当の自分を探し始めること。本当の自分を知ることによって初めて、特にこれまでぼんやりしていた親子や兄弟との差異が浮き彫りになってくる。これは誰かや何かをジャッジするためではなく、すべてを受け入れるためでもなく、自分を含め誰もが凹凸を持っていて、もちろんその凹凸は時と共に変容していくものであるけれども、とにかく凹凸によって一人一人が完成されているということを真に認識するため。頭で分かっているだけでは役に立たない。心で理解し、魂レベルで本来備わっていた叡智を一つ思い出すような、無駄なものを削ぎ落として研ぎ澄ますような感覚。

余談ですが、次男(高1)の子ども自転車をようやく粗大ゴミ収集に出す手筈を整えたところ。もうとっくに乗らなくなって長年放置していたし、まったく見向きもしていなかったものだけど一応一言断りを入れたら、意外に思い入れがあったらしく、自転車のところに行って感謝の意を伝え、実際に収集される時にはほんのり涙ぐみながら積み込まれるところから(結構雑にぶん投げて積み込まれていた)、収集車が見えなくなるまで見守っていた。真ん中の子で日頃あまり感情を強く表に出すことがなかったので、意外な一面。でもよくよく思い巡らせてみると、アンティーク好きで、こだわりが強く、自分の中で大切なものを強く持っていて、さりげない気遣いがみられるようになり、大きな成長を感じる今日この頃・・・

誰の琴線にも触れない、凹凸のない完璧な人間なんてつまらないし、味気ない。良いところも欠点も場合によっては誰かには逆に捉えられてしまったりするけど、すべてひっくるめて自分であり、一人一人、唯一無二の存在なのです。こういうことが頭ではなく、しっかりと『腑に落ちる』と、自分自身も他も、憎たらしいところも愛おしく、可愛らしく、面白おかしく、愉しく思えてくる。

でも、感覚的にどうしても受け入れられない相手もいる。たまたま縁があって、連絡を取り合う必要があるけれども、いっつもどうしても気が重くなって心苦しくなって、考えるだけで食欲がなくなり、気分が悪くなって吐き気がしたり、呼吸がしにくくなったり、場合によっては肩や背中が強張って痛んできたりもする。連絡が遅くなってさらに関係性が悪化してしまうけれども、何か本当にどうしても嫌な感じがして、どうしても近寄り難い相手。瞑想してスキャニングしてみると、やっぱり感覚や思考の向き、振動がまったく合わない。そういう相手とはもう距離を置くしかない。時間や状況が違えばまた変わるかもしれないけど、基本的には自分自身を知るための巡り合わせだったのだ。

すぐに距離を取ることが難しい相手の場合は、切り替えと並行的な感覚が役に立つ。でも、やっぱり心身には目に見えない強い影響を与えていて精神衛生上良くないので、できる限り速やかに離れた方が良いです。

 

切り替えスイッチの探り方

何でもかんでもすぐに合わない、嫌い、パスと言って距離を置いていてはなんの学びも成長もない。心身に支障をきたす相手でない限り、関わりの中で何か受け取るものがある。

呼吸を整えてさまざまなことを思い巡らす。本当の自分自身(魂)の喜ぶ物事を知って、寝食忘れるぐらい好きなことに没頭して愉しんでみたりして、その人のことを忘れてみる。忘れられるか忘れられないか、思い出したらまた胸が、心身が重苦しく感じるような相手ならとにかく離れる。これは見極めであり、感覚や魂の一種の成長でもある。

でも、そうして何か気持ちが切り替わって別の視点で相手を捉えられるような感覚があるなら、改めて思案してみる。

  • 相手の反応を期待していないか
  • 自分の思い通りにならないことにイライラしていないか
  • 相手が変わることを求めていないか
  • 一方的な答えや感覚を思い描いていないか

嫌だ、嫌いだと思いながら、相手に執着しているうちはその関係性は変わらない。自分は自分、他は他。違いを受け入れて、相容れるか容れないか。表面的な生理的なものだけでなく、思考や感性の向き、放出している振動やオーラを感じ取って、合わないのなら離れる。それがお互いのためであり、それでも何か縁があれば、またそれぞれが成長した後だったり、何らかの過程の中でまた巡り合うことになる。ただそれだけのこと。

自分自身が変わるのだって難しいのに、人を変えようと思って変えられるわけがない。唯一できることは自分の放出する振動を高めること。そのためには本当の自分自身を魂レベルで知ることに意識を向けて、愉しみながら、幸福を感じながら人生を謳歌すること。私たちには相手がどうとかこだわっているほどの時間はない。(即座に見限るということではありませんよ!)

自分の好きな物事の把握については、ライティングがおすすめです。頭で考えるのではなく、心に思い浮かぶものを思い浮かぶままに綴ってみてください。始めは奇妙な感じがするかもしれませんが、ただ素直にそのまま書き綴っているとそのうちに偏見は離れていきます。これまでのワークもぜひご活用ください。

今すぐできる!自分を知る4つのワーク
  1. 自己認識を深める:https://majolabo.com/wp-content/uploads/2023/10/sfs1_deepen_awareness.pdf
  2. スターシードサイン:https://majolabo.com/wp-content/uploads/2023/10/sfs2_starseed_awake.pdf
  3. 魂の答え:https://majolabo.com/wp-content/uploads/2023/10/sfs3_soul_answer.pdf
  4. 4.私たちを駆り立てるものから解放されるワークhttps://majolabo.com/wp-content/uploads/2023/10/sfs4_freedom_from.pdf

難しく考え過ぎず、気楽に、軽やかに、『本当の自分を知って、実り豊かにこの生命を愉しみたい』という意識を持って、寝る間際にぼんやり眺めて、高次元の自分自身とつながる潜在意識に丸投げしてしまうと、翌朝や数日経ってから突然、思いもよらないひらめきや気付きが訪れるので、おすすめです♪

 

並行感覚を磨く

どうしてもすぐに距離を置くことが難しい場合は、意識的に並行的な存在になること。二重人格とかに近いかもしれませんが、しばらくはその相手との関係を保つことを選択した場合(選択せざるをえなかった場合も)には、魔法の3ステップをお試しください。

私たちはそもそも魂と肉体と感情の融合体として、この物質世界の地球に存在しています。そして感情がかなりのガイド的な要素を占めています。肉体と魂は分割できないし、魂レベルで嫌な相手と対峙しなければならないという状態。でも、感情は思考や言動や行動にも作用するのです。感情の赴くままにということではなく、魂に備わった意思の力で感情を利用し、コントロールするのです。

何かしらの目的があってその相手と接触するのですから、相手ではなく目的の方にフォーカスします。目的を達成するための別人格を用意するような感じです。別人格は基本的にロボットに近い存在です。あまり他に揺らぐことがなく、大抵のことはうまくやってのけることができます。目的達成のために。

ここでステップ1:『笑顔』

深呼吸をして肩の力を抜いてリラックス。イライラしたり緊張したりしていると心身が強張り、余計なエネルギーを使ってしまって疲れ、さらに緊張やイライラを増幅させます。でも今はうまく切り抜けられる存在ですから、大丈夫。意識的に笑ってみてください。笑うと心身が緩み、緊張をほぐれて余分な力が抜けます。楽になるのです。

つづいてステップ2:『自分次第』

晴れていて清々しい日だと「良い天気ですね」って言う人がいる。でも曇っていてちょうど良いって思う人も、しっとりとした雨を乙なものと感じる人もいる。

朝目が覚めて幸せ、通勤途中に綺麗な花を見たとか、毎日お風呂に入れてありがたいとか、一日無事に過ごせた、子どもが動画を見て楽しそうに笑っているとか、何でもいい。日常の些細なことでも、当たり前のことじゃない。

ただのコロッケを最高のコロッケだと言う。カレーも最高のカレーだと言って食べたら最高のカレーになる。『言霊の魔法』に脳は簡単に騙されて最高に美味しい食事になる。これは私たちに齎された能力の一つ。

感性の器を広げて、言霊の力も借りていくと、毎日の天気も食事も自分の機嫌を良くする道具になるのです。

ステップ3:予測する

あらゆる状況を、特に最悪の事態を想定してみる。あれこれ未知の状況にただ不安や恐怖ばかりを煽られるのではなくて、冷静に具体的に思案してみることです。そうすると、意外と手立てがツルツルと浮かび上がってくるものだし、最低最悪だと思っていたことがいかに不合理なことで、あり得ない妄想だったかに行き当たります。思い巡らすことによって頭の中でさまざまな場面をシュミレーションできるし、よっぽどでない限り取り返しのつかないことにはならないことに気付いて落ち着いてリラックスできるようになります。

 

幸せとは『自分の心で感じるもの』

10〜20代は大酒飲み、タバコも1日1箱。産後授乳が終わってからは毎晩晩酌を欠かさず、今思えばいっつも中〜不機嫌だったし、強気なオーラを放出していたと思う。周りの人は大人しい人が多かったのもきっとそのためだ。20代後半に結婚して、あらゆることに力任せの威圧的な存在に初めて出会った。恐れ怯えて、何を言い、どんなタイミングで笑えば良いのか分からなくなり、仕事を続けることも強固に反対され、自分を失った。それまで仲良かった友人や飲み友達とも付き合えなくなった。心身はカチコチに凝り固まっていたと思う。子どもたちと猫たちがいたことが本当に救いだった。そのご縁で自然派に導かれ、並行感覚的に英気を養って逃げ出すことができた。

逃げちゃいけない、続けなければいけない、やり遂げなければならない。どれもある意味では正しくても、絶対的ではない。学校教育や集団社会では、特定の束ねる存在が管理しやすいように一元的に誘導しやすい。一方が正しく他方は間違いだと刷り込まれる。もっと場合によって、人によって、時によって、すべて相対的なものだけど、そのようには教えられない。一方的な押し付けは幼少期から長年に渡って染み付いているから、なかなか拭い去れない。

私は本当に恵まれていたと思う。さまざまな巡り合わせによって今がある。すべてとはいえないまでも、過去に感謝できるようにもなった。人の幸せを喜べるようになった。穏やかに幸せを感じられるようになった。

自分、周り、大周り(社会、世界、地球)、大いなるすべてのつながり(宇宙や高次元の存在)のことを惟ることができるようになった。三方善し、四方善し、五方善し・・・もちろんすべてオールオッケーとなるのは難しくても、そう在りたいと願い、意識を向けて行動できるようになった。

誰も完璧な人なんていないし、この人のここが嫌って思うことが、他の人にとっては好きなところかもしれない。みんな凹凸があるんだからいちゃもんつけようと思えばいくらでもつけられる。どうしようもない悪もいる。腐ってしまう時もある。合う合わない、許容範囲、それだけのこと。誰とでも仲良く、空気を読んで、自分を押し殺して丸く収める必要なんてまったくないし、対峙してバチバチやり合う必要もない。ただ、違う。それを受け入れられるかどうか、受け入れられなくても離れられるかどうか。相手を変えるのは不可能だし、無理に自分を捻じ曲げる必要もない。

不機嫌は相手の都合。それに振り回される必要も、機嫌を取る必要もない。広く大きい視野をもって笑顔でいることが心地よいなら、自分の都合でにこにこ機嫌良くいればいい。

もうずっと前に出会った本ですが、こうしたご縁がつながって、本当にすべてつながって今があるんだとしみじみ思います。誰かが母子家庭の我が家を見てかわいそうだと言ったり思ったりしたって、私や子どもたちがそれぞれ幸せなら、それぞれが幸せなんです。

幸せの種を蒔くのも、不幸を振りまくのも自分次第。それに蒔いた種は自分で刈り取ることになる。

だから自分を知って、自分の機嫌を自分で取って、幸せの種を芽吹かせてこの生命を上気元で愉しもう♪

 

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