個々の問題解決のための真のアプローチポイント

2018年1月 知人の子ども(長男、当時14歳)が亡くなりました。不登校気味だった彼は、普通でありたい、普通に見られたい、普通と思われたい、変わっていると思われたくない、子どもの将来のために何が何でも登校させようとすること一辺倒の母親や担任教師の前に、居場所を失って自死を選びました。(幸せの境界線

人生には取り返しのつくもの(学生時代の勉強)と取り返しのつかないもの(生命)があります。

一人一人の「個」について、解明が進んでいるにもかかわらず、学校教育は相変わらず少ない選択肢のまま圧力をかけつづけています。個々のタイプによってはあまり深く感じず、学校生活を楽しめる子も、何らかのモチベーションポイントが合致して通える子もいますが、一定数の子にはさまざまなトリガーポイントによって「学校」に足が遠のいてしまうのです。

感謝と多幸感、実りの多い豊かな人生を歩む真の成功者の共通点は、

・どうなっても生きていけるという自信 と

・自分には幸せになる権利があるという確信 です。

子どもが不登校になることで、どうせダメな母親だと思われてるんだろうな、私には無理、できない…そうやって1日に何度も腐ってしまうことがあります。

でも、どんな成功者にも、こういうネガティブな感情の波はあるらしいのです。

その波に飲み込まれずに、逆にその波を利用して、さらに高くて良い波を乗りこなすコツを教えてもらってからは、私もずいぶん楽になりました。

お金持ちはケチだといわれますが、正確には使い処を的確に把握しているだけのことです。教えてもらったコツも、手に入る人が限られるような高価なものは一切必要なくて、生活がカツカツなジングルマザーの私にも十分取り入れられるものでした。

誰もが知っているような病名や〇〇危機などと散々恐怖を煽って、冷静さを失わせるようなものでもなくて、大切な子どもたちも一緒に取り組めるものなのに、これまでのどんなメンテナンス法よりも短期間に大きな効果を実感できたのです。

でも、私の指導者に言われたのは、それは私が子どものアレルギーなどの改善のために10年以上学び続けているからで、テレビやニュースを当たり前のように信じている人はこんなに簡単なことでも素通りしてしまっていて、心身がどんどん蝕まれていることにも気付かず、肌や脳年齢の老化は必然的なことだというプロパガンダを全く疑ってみようともしないということでした。

私たちは同じ人間でも、実はその機序や必要な栄養素の量は驚くほど違います。

だからダイエット法も処方薬も、同じような効果が得られないのです。ちなみにダイエット商品を売るためには、痩せている方が良いという強力な洗脳がかけられているわけですが、その洗脳が強力すぎるが故に、拒食症や過食症を繰り返して心身を病み、からだ本来の機能を損なってあらゆる不調の連鎖反応に長期的に悩まされている人が大勢います。

メディアや権威など、あらゆるものを使って信じ込ませるだけ信じ込ませておいて、いざからだを壊しても誰も責任を取ってはくれません。

私たちは幼い頃からさまざまな業界の強力な洗脳を受けていて、たとえ目の前に実例があったとしても、非常識なことは受け入れられず、99%の人には視界にすら入りません。

切り抜きやデザインによっていくらでも小細工できるネット社会では、プロモーションのモデルを信じて散財するのは愚かでお金をドブに捨てているようなものです。

そもそも、不調にしろ肥満にしろ、問題は雑草のように根っこから引き抜かない限り改善するはずがないのに、根っこの途中の単なる過程に真実をほんの少し織り交ぜて、そこに権威性フィルターをかけられた強力なキャッシュポイントが設けられているのだから、素人の私たちは簡単にお金を騙し取られてしまうのです。

姿形も根っこの深さもまったく違うのに、同じアプローチが通用するはずがないし、個々の全体と細部をじっくり分析しなければ改善できるはずがありません。

 

学校教育にしろ強大な業界ビジネスにしろあらゆるすべてに共通していることだけれど、彼らの真の目的は別のところにあって、権力や法律を使って彼らの得たい結果に誘導しているのです。学校教育では、本気で子どもたちが賢く生命を生き抜くために生涯役立つことを教えているでしょうか?病院や製薬会社は本気でこの世の中から病気がなくなるように働きかけているでしょうか?貴重な子どもの時間を奪う学校教育で植え付けられるものは本当に人生を豊かなものにするでしょうか?本当に病気がなくなってしまったら病院も製薬会社も困ってしまうのではないでしょうか?

真の健康体を手に入れ、充足度の高い豊かな人生を送るためには、自分自身の心身に徹底的に向き合って、その心身に合わせて的確にアプローチする以外に道はないのです。

私のようにたまたま運良く裏側を除く機会に恵まれた人たちだけが、さらにその疑いを深めて本質を暴くために掘り下げ、さらに深く研究を重ねている先生や仲間に出会い、学びを深めることでしかそこへは辿り着けません。

でも、ここまで読み進めてきたあなたは、もしかするとその1%の入り口に立っているのかもしれません。

世の中の常識やしがらみに縛られて人生を送るのも、自分の目で見て、耳で聞いて、心身で実感して、自分のペースで人生を歩むのも、どちらも個人の選択であり、どちらも責任は自分で取るしかないのです。国や世の中の言うことを聞いた結果何かが起きても、国も世の中も何の責任も取ってはくれないのです。

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生まれ持ったブレない軸と、漂い、変化しながら整っていく気質

自分はこういう人間だというのは、幼少期から身の周りにいた人たち、情報、環境などにミラーニューロンを受けて培われたもの

本来、誰にでも表の顔と裏の顔があるのに、制約や同調圧力に覆われ、日々忙しく急かされる社会の中では、裏の顔へ意識を向ける間も与えられず、本当の自分を見失ってしまう

本当の自分とは、表の顔と裏の顔を持ち、生まれ持った軸と柔軟な気質が複雑に絡み合い、目指す彼方に向かって研ぎ澄まされていく存在

気づかないうちに時間、思考、感情を奪われ、あっという間に終わる1日、1週間、1ヶ月、1年。

人生の中で本当に大切にしたいと思える人、もの、場所は思っているほど多くはないけれど、知らずに素通りしていることもそれらに気づき、それらを護り、温かく実りの多い豊かな人生を歩むために、ほんの少し立ち止まって、忙しない日常に距離をおいて自分自身を直視して深く向き合うために必要不可欠で唯一無二のステップです。

真の問題とアプローチポイントにたどり着く欠乏診断3ステップ

 

言うと伝えるの違い

『伝える』という言葉にはさまざまな意味がありますが、ここでは、相手がこちらの意をこちらと同じように解釈するまで繰り返すこととします。対する『言う』は、相手がどのように受け取ったかを解さずに単に意を発言すること。

私たちは日々生活の忙しさに追われていると感じていますが、昔に比べると家電製品やさまざまな技術、コンビニ、スーパーマーケットなどによる利便性の向上によって、生活や家事に取られる時間は大幅に減っているはずです。一方で、外で働く時間は増え、手元のスマホ一台でも個人が簡単に楽しめるようなエンターテイメントが充実してきた結果、昔とは異なるものに時間を費やし、異なるものに向き合うようになっています。

働く時間は増えているのに収入は増えず、しかも何故か自分の時間を投じて働いた給料にも所得税などという税金がかけられ、物価も消費税も上がっているために生活は苦しくなるばかりです。何故か?おかしいという疑問を問いかけるような間も与えられないまま、『当たり前』となった事象に追い立てられているのです。

お金がないとまではいかなくとも、さまざまな情報によって将来への不安を煽られ、私たちは常に心のどこかでお金の心配をし、イライラしたり眠れなくなったり、茫然としたり、漫然とやり過ごしたりしながら同じような毎日を繰り返しています。

また、特に日本では相手を立てる、空気を読む、自己主張しすぎず控えめであることが美徳とされてきたため、『感情的』ということにはネガティブなイメージがあり、悩み、苦しみ、困っていても周りに伝えることができません。

つまり、多くの人が自分の不安や悩み、苦しみを感じていても1人で抱え込んで、そんなことは周りには微塵も感じさせないように押し殺しながら生きているのです。それが当たり前という空気があり、そんな中ではとても息苦しく、1人でやり過ごし、ほんの一時でもそんな辛い日々を忘れるぐらい没頭できる何か、ゲームや漫画や音楽やスポーツなどのエンターテイメントに逃げ込み、自分を騙し、傷ついていても気づかないフリをしているうちに、自分の感情や感性にどんどん鈍感になっているのです。

一方で、他人の言動や行動にはとても敏感です。無意識のうちにこれ以上自分が傷つかないための防衛本能が働いているのかもしれません。

周りの目を必要以上に気にして神経を使い、自分を摩耗しすぎて余裕がなくなり、自分や自分の身近な子どもや家族には丁寧に向き合い、優しくすることができなくなっているのです。

また、身近な存在であるからこそ、伝わるだろう、分かってくれるだろう、汲み取ってくれるだろうと思ってしまいがちでもあります。

そのような思いのまま、伝えずにただ『言う』を繰り返していると、いつの間にかお互いの隔たりがとても大きくなってしまうかもしれません。こちらの意とはまったく違う風に受け取られ続けて別の絵を描いているような状態です。

いったん立ち止まり、周りの一切を精神的に遮断して、心を落ち着けて深く考えてみてください。

私たちの生命=限られた時間です。

この限られた時間の中で心から大切に思い、真剣に向き合い、大事にできる存在はおそらくそんなに多くはないのです。

どんな顔をしてどんな表情をしていたのかも分からないような他人の意を一生懸命汲み取ろうとする前に、心から大切に思える存在に真剣に向き合い、自分の意を丁寧に伝え続け、お互いに無理なく疎通を重ね、大事な存在との関係性を深めていくことこそが、自分自身を高め、充足感のある人生を送ることにつながっていくのです。

あなたが私の一生涯の友となるかどうか、それはあなた自身が決めることですが、何かのご縁でここに辿り着いてくれたあなたに、私が学び、知り、体験し、体感したことの中で何か一つでもあなたの役に立つことがあれば、それを誠心誠意伝えてみたいと思うのです。

 

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自己紹介

セルフケアサロンおうちリトリート研究所の久家彗夢(くげえむ)です。

ご訪問ありがとうございます❤️

【基本データ】

1977年生まれO型
関東在住

DVモラハラ作話夫から逃れ、
3人の子どもと暮らすシングルマザーです。
別れた後も元夫の幻影につきまとわれながら、
児童福祉にフルタイムで10年従事。
刃物を持って殺し合い寸前の不登校兄弟喧嘩、
目の前で死にかけた我が子、
知人の子の自殺から見えたもの。

そして、世界中の医学、精神学、
心理学、細胞学、経済学など広く
深い叡智を身につけるメンターの教えによって、
これまでの狭い価値観や固定概念を手放し、
一見無関係に見えるものの深いつながりに気づき、
なぜ?なに?どうして?を悟り、
子どもとの向き合い方、思考パターンが
180度変化しました。

まだまだ難しい子育て、
そして育自を愉しみながら、
無理せず等身大の思いを共有し、
一人一人が持って生まれたポテンシャルを発揮し、
互いの得意不得意を活かして助け合い、
信頼し合い、
それぞれが自信を持って生命を生き抜く
新たなステージへの道のりを模索しています。

 

【保有資格】

宅地建物取引士
介護福祉士
児童指導員
児童発達支援管理責任者
サービス管理責任者

 

【ありたい姿・価値観・好き】

笑顔/感謝/穏やか/朗らか/健康/元気
運動/トランポリン/猫/シンプル/飾らない
食べる/
白〜紺/161cm/ぬくぬく/手作り
アロマ/オーガニック/有機/自然/ほっこり
ワーネバ/のびのび/キャンプ/BBQ/釣り/モンブラン
B’z/Mr.Children/サントラ/洋画
ジョジョの奇妙な冒険/進撃の巨人

 

ある日子どもたちを連れて逃げ出しました。

もう10年以上前のことです。

幼い(4歳・2歳・1歳)3人の子どもと私だけで、遠方の親戚の家に遊びに行くことになりました。 それまで、日中のスーパーや公園など以外に私と子どもたちだけで、どこかへ出かけることなど思いも寄らないことでした。どうしてそのようなことになったのか詳しくは覚えていません。

元夫のDV下(暴力、経済的、精神的、性的)の中で、子どもたちと穏やかに過ごせる日中の時間だけが心の拠り所で、それ以上を望むようには思いは巡りませんでした。意識すらしていませんでしたが、今思えばまったく疑う余地もなく、『私なんか』、『私さえ我慢すれば』、『私が悪い』、そんな風な感覚が染みつき、元夫がいる場では、何を話し、何を考え、何に笑うべきなのか分からなくなり、自分を見失い、表情をなくしていました。

今振り返ってみると、山場には必ずキーパーソンとなる人とのご縁がありました。

当時は、長男の喘息や三男のアトピー性皮膚炎を通じて自然療法に出会い、長男と同じ幼稚園の、同じ『自然派』のお母さんたちとのご縁がつながり、定期的に各々の家に子どもを連れて集まるお茶会がありました。

幼少期から、元夫と出会う前の、社会人として勤めている頃までは、いわゆる「女子グループ」みたいなのは苦手で、特定の少ない人との深い付き合い以外は、広く浅くでも「学年全員友達」のような付き合い方をしていたので、それなりに自分の考えを持ち、でも時と場合によっては人に合わせ、そこまで強いこだわりや分け隔てはありませんでした。

が、元夫との生活が続くにつれて、真逆のような人間になったのです。

自然派のお母さんたちとの集いも、初めは能面のような表情で、顔がこわばっていて不自然な笑顔だったような記憶があります。

今思えば、よく懲りずに声をかけ、集まりやいろいろなイベントにも誘ってくれたと本当に感謝しています。

それぞれの家庭の話し、子どもの話しを時には冗談を交えながら、面白おかしく話してくれたお母さんたちのおかげで、徐々に打ち解けることができました。

それでも、自分のことは、『どうせ私が悪いんだから』、『理解してもらえない』、『離れられてしまうかもしれない』・・・そこまで慮ることができていたか疑問ですが・・・、とにかく打ち明けられずにいました。

ある日、一人のお母さんが、

「何かあるんでしょ?話してみな?」

と水を向けてくれました。

流れが滞っていた淀みに、小さな波風が立った瞬間でした。この頃、やたらにRipples(波紋)という言葉に強く惹かれていたことを覚えています。

ぽつりぽつりと、初めはまるで他人事のように「仕方ないよね」という感じで話し始めました。

でも、

「それはおかしいよ!」

と一人のお母さんに言われて、ハッと我に帰り始めたように思います。

『もしかしたら私が悪いんじゃないのかもしれない』、という小さな確信が芽生えた瞬間でした。

この時から少しずつ歯車が回り出し、新しい方向へ向い始めたのだと思います。

疑念と共に少しずつ元夫から離れる方法を模索し始め、動き始めると少しずつ新たな後押しとなるものとのご縁がつながっていきました。

その後の遠距離調停→離婚裁判の経緯も次回詳しく書きたいと思いますが、結果的には、まったく予期されることなく、子どもたちを連れて家を出てから10年以上、元夫に直接顔を合わせることも言葉を交わすこともしていません。

どん底だったと認識できたからこそ、あとは良くなるしかないという確信が持て、自分に向き合えたからこそ、向かいたい方向、向かうべき方向が見えて、行動することができたのだと思います。

適応障害→うつ病になりました。

それまで『生きること』というよりも

『死ぬこと』に強い恐怖や罪悪感がありました。

その理由の一つに、6人兄弟の父のひと周り以上歳の離れた一番末っ子の伯父さんが、私の学生時代に自殺を図ったことがありました。

幼い頃から神童と騒がれるほど頭が良い人だったそうで、私も子どもの頃に勉強を見てもらったり、遊んでもらったりしていた、大好きな伯父さん(当時はお兄さんと呼んでいた)でした。

父たち兄弟にとっても自慢のかわいい弟だったようでした。

若くして組織の幹部となり、責任の重大さや周りの人間の妬みなど、私には想像もつかないような苦しみやに我を忘れてしまったのだと思います。

当時もその後も事細かく事情を聞き出すことなどはできませんでしたが、降り積もった真っ白な雪の上で切腹したと聞いて思い浮かべた情景は頭にずっとこびりついています。

このことは、私が死を初めて身近に感じ、意識した事件でした。『生きている』ことは当たり前じゃないし、鋭く研いだ刃物ひと刺しで生命は尽きてしまうのだと。

幸い発見されたのが早く、生死を彷徨ったものの、伯父さんは一命を取り留めました。

父の涙を見たことも強く心に残っていて、『自殺』なんて考えてはいけない、許されることではない、と私の中に深く刻み込まれました。

伯父さんにはまだ小さなかわいい子どもが2人いました。

当時は実感できませんでしたが、自分が子をもつ親となって初めて、その事の重大さをより一層強く認識しました。

私はシングルで、頼るあてもないので、もしも自分に何かあったら、子どもたちが路頭に迷うことになってしまうし、かわいい子どもたちの脳にも心にも、生涯残ってしまうような傷をつけるようなことは想像するだけでも胸が苦しくなります。

でも、子どもたちが成長し、『不登校』になったことで、家の中は殺伐とした雰囲気に変わってしまいました。

私が受け入れられなかったことから、子ども自身もイライラを募らせ、ちょっと肩が当たったとかそんな些細なことが大げんかに発展し、家の壁は凹み、青アザ、腫れ、流血が絶えなくなりました。

何とかからだを張って阻止し、何度も繰り返し言葉を尽くして話してきかせたりもしました。

どうしたら良いのか分からず、子どもたちが昼夜逆転しているのをいいことに、仕事や1人の時間に逃げたこともありました。

子どもたちが小さい頃よりも、別の意味でさまざまな配慮が必要なことに気付かされ、子どもたちを家において仕事に出ることへの罪悪感と、生活のために働かなければならないというプレッシャーから、徐々に体調を崩し始めました。

からだも心も休まらず、常に疲労感があり、呼吸しづらく、息苦しく、からだが重く、気持ちが晴れない日が続くようになりました。まだ30代半ばなのに・・・

土日の休みは土曜日にまとめて用事を済ませ、日曜日は翌日からの仕事のために家の中でゆっくりと過ごしてからだを休めるようにしていました。

それでも、頭がスッキリ冴え、心が晴れ渡り、からだが軽やかになるようなことはなく、頭も心もからだも重たいまま。しっかり休んだはずなのに

何かの病気なのか?

心の病なのか?

私に何かあったら子どもたちはどうなる?

そんな不安に毎日つきまとわれるようになりました。病院で診てもらっても、検査をしても異常は見つからず、胃薬や漢方薬を処方されただけでした。

周りの同年代の人も同じような感じだと言っていて、

そういうものだよ、

しかたないよ、

別に病気が見つかったわけじゃないんだし、大丈夫だよ

そっか、そういうものなのか

児童、障害者、高齢者福祉に携わる者として、精神科や心療内科には勝手な抵抗がありましたが、友人の勧めもあり初めて心療内科を受診しました。

診断名は適応障害。

適応障害:原因となるストレスや事象が明確にあり、その原因によって精神的にも身体的にも症状が現れる状態です。薬物療法だけではなかなか症状が治まらず、原因となるストレスから離れるなどの調整が必要になる事もあります。

とはいえ、3人の子どもたちを養うためには仕事をしないわけにはいきません。

このままでは悪化する一方で、いつか取り返しがつかなくなると強く感じ、騙し騙しごまかすのはやめて立ち止まり、根本的に解決する方法を探し始めました。

ご縁があっていろいろな方とつながり、不登校について学び、少しずつ凝り固まっていたものが解け、理解し、受け入れられるようになると、子どもたちも少しずつ落ち着き始めました。

長男と次男は学校に対して、「本当は通いたい」という思いがなかったので強い摩擦はありませんでしたが、三男は違いました。

『友達』には会いたい、でも『学校』には行きたくない。

その摩擦は相当なものでした。

常にイライラし、怒り、荒れた状態で、私や長男、次男が普通に話しかけてもいつも不機嫌。暴力は止んだものの暴言が酷く、何度も心を抉られました。

初めはその都度向き合って諌めていましたが、どんなに太く丈夫なロープでも切れ味の鋭いナイフで少しずつ削られていくように、繰り返される「◯ね!」という暴言によって知らず知らずのうちに私の心は病んでいました。

「もう、いいや」

私なんて必要ない、居なくてもいいってこと、自分が思っていたほど困らないのかもしれない、

と、涙が溢れて止まりません。

何を頑張ればいいのか、頑張る必要があるのか、自分がいなくなることで三男が更生するかもしれない、

そんな思いが頻繁に頭を過ぎります。

思いとどまるのは、長男と次男がいるから。

これ以上抉られると、本当に事切れてしまう。

だから、三男とは距離を取ることにしました。

死んでもいいと思われているのであれば、一切の接触を絶っても問題ないはず。顔を合わせても声が聞こえるだけでも涙が出てきてしまう。

私の不安定は長男や次男にも強く影響します。

もう、預け先を探すしかない。

そう思いました。

なんて酷い母親なんだ、ありえない。

あなたはそう思われるかもしれません。

でも、自分の急所に刃物を突き立てる様が頭から離れず、息をするのも苦しいぐらい切羽詰まって、どうしようもないのです。

でも、家の台所でそのようなことをすれば、子どもたちにどれだけの心の傷を残してしまうことになるか・・・

でも命を絶ったところで子どもたちに残せるものは何一つもなく、心に大きな傷を負わせてしまうだけ・・・遺族年金ぐらいは残せるのか・・・情けなくて、本当にどうしようもありませんでした。

私から離れた方が、三男も幸せに違いない。

長男や次男のためにも、穏やかな日常を取り戻すためにもそうするしかない。

目の前にはその道しか見えないのです。

見えないナイフが何本も心に突き刺さり、あと一撃というところまできてしまっていました。

この頃、うつ病と診断されました。初めて心療内科を受診してから数ヶ月が経過していました。

毎日気づけば勝手に涙が流れていました。

私が泣いているのを見るとさらにイラついて罵声が始まるので、気づかれるわけにはいきません。

一切の気力をなくし、ただただ見られないように涙を流していました。

ある日、いつの間にかうたた寝していて、気づけば数時間が経っていました。

泣いて、寝て、少しだけ気持ちが休まったように感じました。

本当に眠っていたのかどうか、夢うつつのような状態で、子どもたちを連れて家を出てからの 10年が走馬灯のように蘇りました。

シングルマザーとして、いろいろとあって実家や兄弟とも疎遠となり、私が働かなければ生活できませんでした。

朝から夜まで働いていました。使命感や達成感、やりがいもあり、仕事に没頭していた面もありました。

まだ低学年や保育園の子どもたちが熱を出して休む時には、仕事に穴を空ける罪悪感が強くて、子どもたちを家において仕事に出たこともありました。

仕事はいくらでも代わりがきくけど、子どもたちの母親は私1人しかいないのに。

とめどなく涙が溢れました。

そして、子どもたちにどれほど寂しく、悲しく、辛い思いをさせてきたのかを思い知りました。

子どもたちは一切わがままも泣き言もいわず、不満を顔に出すこともなく、とても優しく良い子たちに育っていました。

そう思い込んでいたので、日々仕事に追われている中で細かく一人一人に向き合っていませんでした。

なんてことをしてしまったんだろう・・・悔やんでも悔やみきれません。時間を戻すこともできない。

このまま泣いて、距離をおいて逃げるなんて、それこそあり得ない。

失った時間は取り返せなくても、私には責任がある。

改めて子どもたち一人一人に向き合ってみました。

それまでとは全く違って見えました。

それぞれが瞳の奥に寂しさを宿しているようにも感じられました。

一番幼い三男はまだあどけなさが残っているにもかかわらず、寂しさや辛さを紛らすために強がり、人よりも早く成長するしかなかったのだと、気づきました。

私はなんて弱くて浅はかなんだろう・・・

誰1人として欠かすことのできない、かわいい子どもたち。かけがえのない存在であることを改めて認識しました。

子どもたちのために私にできること、私が本当にすべきことは何なのかを真剣に考え、何があっても子どもたちの心からの笑顔と安心感を守り、子どもたちとの関係性を一から築いていかなければいけないと強く心に誓いました。

百発百中の大予言

誰でも100%絶対に言い当てられるものがあります。

訪問介護事業所にいた頃、週1〜2回ほど、Kさんの自宅に通っていたことがありました。

Kさんは当時50代前半。3人娘の当時10代後半の三女と2人で暮らしていました。

Kさんのお話を傾聴しながら3日分ほどの食事の作り置きとその日の昼食を作り、台所の後片付け、キッチンの床を掃除するのが仕事でした。

各部屋6畳ほどの3Kの団地で、余計なものはほとんどなく、食材は毎週決まった曜日にKさん自身が原付バイクで業務スーパーに決まったものを買いに行っていました。

食材も作るものもほぼ決まっており、カレー、野菜炒め、焼き魚がメインでした。

こうして思い返してみると、部屋の香りや風景だけは鮮明に覚えているのに、仕事内容は振り絞らないと思い出せないことばかりで、何の思い入れもなく、ただ淡々と作業としてこなしていたことが窺えます。

Kさんはキッチンの隣の部屋に寝転がりながら私が作業している後ろ姿をじっと眺めていました。

何年も抗うつ薬を飲み続けていて、全体的にガタイの良い方でしたが、お腹が大きく膨らみ、いつも目が座っていて、ズレて鼻にかかったメガネ越しに、下からずーっとこっちの一挙一動を見ていました。

Kさんには、「いつ見てもお尻大きいね」など、思ったことを率直に言うところがあり、後ろからじっと見られているのも気持ち悪いとNGを出すヘルパーさんも多くいましたが、私は3人の子を持つ同じシングルとして、Kさんに共感できるところも多くあり、嫌だと感じることはありませんでした。

Kさんも10年以上前は子どもを保育園に預けて働き回っていたこと、両親との関係、うまくいかず離れて暮らしている子どもたちとの関係などを淡々と話してくれていました。

「そうやって働き詰めでいると、絶対壊れるよ」
何度かそんな風に言われたこともありました。

利用者さんの多くは波瀾万丈な人生を過ごしてこられて、長年通院し抗うつ薬を飲み続けていて、物の見方が偏っていたり、思い込みからクレームや脅しの超長電話を事務所にかけてくる方もいました。

多くのことを任されてやりがいを感じていた中で、没頭して何時間も残業して帰りが遅くなったことも多々ありました。

生活がかかっているからといって、100%お金のためかといわれるとそうではなく、仕事中は子どもたちのことは意識から分離していました。

100%仕事をし、子どもたちのそばにいる時間は100%子どもたちに向き合っていたし、その時々は確かに充実していたし、毎年何度かはキャンプに出かけ、真面目に働いている姿をみせていれば大丈夫と感じていました。

でも、子どもたちの行きしぶりや不登校によって、本当は何も見えていなかったことに気付かされました。

今ではむしろ、「行きたくない」と意思表示をしてもらえたことに感謝しています。子どもたちがあのまま普通に学校に通い続けていたら、子どもたちの心は壊れてしまっていたと思います。

気持ちを分かち合える兄弟がいたことも大きかったろうと思います。言葉には出さずとも3人いたからこそ寂しさを紛らわしてやり過ごすことができていたのだろうと思います。

表面的にはきちんと向き合っているつもりでも疲れが溜まっていて、イレギュラーなことにはうまく対応できずに焦り→不安→怒りという感情の変換がありました。だからこそ、私の反応を敏感に感じ取る子どもたちは、変わらない日常を繰り返していたように思います。

「手のかからない良い子たち」だった分、必死に駆け抜けてきた分、何よりも大切な子どもたちの成長の記憶が朧げにしか残っていません。

仕事にも子どもにも100%向き合っていたつもりが、結局どちらも惰性に依存していただけでした。

小学校、中学校、高校では決められた時間割に沿って分断された一つ一つの科目それぞれに集中するべきとされてきました。社会人になると、決められた時間に決められた仕事をし、オフの時間はしっかり切り替えてリフレッシュするのを繰り返し、子どもを育てながら仕事をする場合は、仕事、家事、育児をするのが当たり前だと感じていました。まるでプログラミングされたロボットそのものです。

成長と共に勝手に身についた社会のルールや価値観を自分自身のそれと同一視し、周りと同じようにできなければ落伍者で劣っていると感じる。それが嫌だから既存のレールからはみ出ないように必死にしがみついていました。

百発百中の大予言は、「私たちは必ず死ぬ」です。

しかもそれがいつ訪れるのか分からない。

子どもたちと一緒に暮らせていることも、毎朝目が覚めることも、からだが動くことも、呼吸できていることも、すべて当たり前のことは一つもありません。

「明日死ぬかもしれない。」

私たちは今すぐに自ら死を選ぶこともできてしまう。
そんな中で今本当にすべきことは何なのか?

現実問題、いつどうなるか分からないから、目の前にあることを片付けないといけないけれど、変化の目まぐるしい現代では、少なくともいつ変わるか分からない価値観という不確かなものに振り回されるのではなく、心底大切にしたいと思えるものに全力投球したいし、そうできる方法を探したいと感じました。

限られた時間の中で、成し遂げられるもの、全身全霊をかけられるものはそう多くはありません。誰かが大切に思っているものが必ずしも自分の大切なものではないし、その逆も然りです。

「やりたいこと」ではなく、「やるべきこと」。

この「べき」というのが、社会や他人の軸なのか、自分の軸なのかで全く異なってきます。

たとえば、社会や他人の軸だと、

・義務教育なんだから学校に行くべき

・母親なんだから〇〇するべき

・働くべき

・稼ぐべき

・納めるべき

・食べるべき

・寝るべき

大きく捉えると自分というのは単なる一過性の、ほんの一部分で、事象に対する咄嗟の思考や感情さえもコントロールできない。そんな自分に価値を感じるためには認められ、何かにすがり、何かを信じたい。でも、確かなものなんて何一つもない中で信じるものは移ろい、その都度真逆のものを敵視することで一方に所属している安心感を得ようとする。

そういうものに距離をおいて考え、感じてみると、ほとんどすべてのことが誰かが勝手に決めたもので、本当は生命には何も関係ないことに気づきました。そして、それまでの「べき」への執着を手放すと、これまで感じたことのなかったコト、見えていなかったモノが見えるようになりました。

人にはやりたいことをやりたい放題にやるステージ(できるだけ人に迷惑かけない方が良いけど、そういう理性が働かない時期)というのがあり、そこに限界を感じることで次のステージに上がります。

秩序やルール、「べき」、社会的安定、未来のために今を犠牲にする、時間を守る、フェア、異なるものを敵視して排除しようとする、反抗する場合は罰が与えられる現代の日本社会そのものですが、これは個人にも当てはまります。

日本では子どもたちの多くが、まだ幼い頃から一気にこのステージに入ります。幼いほど強く洗脳されやすく醒めにくくなり、枠からはみ出ることへの罪悪感と恐怖から、自分の個性を見失います。

多くの人はそのまま大人になり、成長とともに増え続ける日々の「べき」に追われて思考を深める余裕がなくなり、本当はどう在りたいのかなんて考えたこともなく、夢や希望なんて見るだけ無駄で無意味だと感じています。見る前から叶うわけなどないと諦めているのです。

それでも、決められたルールを守り、周りに合わせて空気を読んでさえいれば、ある程度のことが保証されるこのステージが気楽で心地良く感じてしまえば、人間の現状維持メカニズム(ホメオスタシス)が作動するため、変化を恐れ、疑問を感じることもなく、ある程度幸せと感じて暮らすことができます。

でも、インターネットの普及によってグローバル化した社会では、先のステージに進んだ諸外国の情報が否応なしに入ってきます。

何かおかしいと違和感を感じても身動きが取れずに苦しみ、目を瞑り、感情に蓋をしてそれで済む場合もありますが、限界を感じて辛い気持ちを思い切って打ち明けたのに受け入れられず、生殺しのような状態に苦しみ続ける場合、どのような決断をするのかは予測がつきます。

現に知人の子は自ら死を選びました。

幸せの境界線>>

時代も取り巻く環境も違うし、これからもどんどんスピーディに変化していく中で、自分の頃と同じ価値基準でモノを見て判断してしまうのは危険なのです。どうなるか分からない社会の中で、誰かが勝手に決めた価値観の色眼鏡で見ていては取り返しのつかないことになり、大切な子どもを失いかねないのです。

Kさんとの出会いや関わり、子どもたちの行動、出来事、経験、すべてが学びとなり、多くのことを教えてくれました。

私にできることは、広く大きく、中長期的な視点で考えて、深いところを見据えて、共感し、理解し、個性を活かして人に喜ばれ、自分が愉しめる生き方を一緒に模索することだと感じています。

次男、三男も『脱』不登校?!

私と中3の次男は『不登校』という呼び名のマイナスイメージや負の感覚による悩み、苦しみ、プレッシャーから解放されて、堂々と休む、自由登校!という感覚に書き換わっていたのですが、一番長く通えていなかった中2の三男は、せっかく通い始めたのだからと、新学期早々宿題、提出物、発言など、頑張りすぎてしまったようです。

有難いことに、我が家は学校にも先生方にも恵まれてきたと思います。

初めは不登校なんてまったく受け入れられない、あり得ない。どこかで耳に入った情報から早めに手を打たなければと思い、シングルでフルタイムで働かざるを得ない状況の中で、私の安易な考えから我が家は数年前に学校のほぼ隣に引っ越していました。

ここでは言えないようなこともいろいろありましたし、ほぼ放置で仕事に逃げた時期もありましたが、やはり私にとっては知人の子ども(当時14歳)の死がとても大きく、絶対に失いたくないものを再認識しました。

そして、本当に大切なのは『どこで学ぶかではなく、何を学び何を身につけるか』、『どう在れば子どもたち一人一人の心身が明るく豊かに輝き続けられるのか』というところに辿り着きました。

子どもの1番の味方として寄り添い、一人一人を見つめ、さまざまなことを学び、根本を突き止めてアプローチし、先生方にもあらゆるカタチで伝え続けてきたことで、子どもたちについての認識を共有し、ある程度同じ目線で捉えることができているとも感じていました。

でも、「放課後登校でもいい」とか、学校のほぼ隣に住んでいたことから先生がプリント類を放課後に家に届けてくれたり、◯時間目に写真撮影があるからとか、当然ながら先生たちには『本来は登校すべき場所』というスタンスがあります。

三男自身は学校教育は合わないけれども、勉強自体は嫌いではなく、友だちやクラスでのやり取りも楽しく、学校という場には行きたいタイプで、朝起きてフルーツを食べながら何度も時計に目をやり、葛藤している様子を見るのは、心苦しくもありました。

理解したかどうかは関係なく、決められた時間に椅子に座って決められた授業を受け、決められた時間に昼食を摂り、8時間という時間を費やして疲れ切って帰ってきて、大好きだったゲームや動画へ向かう気力もなくなっていました。

それでも心地よい疲労感ていうのもありますし、三男はちょうど『友だちとの時間』と猛烈に葛藤する時期でもあるので見守るしかありませんでしたが、英語の宿題には愕然としました。

いまだに私の頃(30年以上前)とほとんど変わらない穴埋め式だったり、英語なのに答えが一つしかないと思い込まされるようなテキストやワークブック。

それでも本人にやる気があって自主的に机に向かっている以上は、そこから学び取る何かがあるはずなので、見守り、望まれれば一緒に宿題に取り組んではいましたが・・・

人生の中で本当に突き詰めてトコトンまでやりたいと感じられることがどれくらいあると思いますか?

多くても3〜4個です。

限られた人生の中で、好奇心も成長も著しく、個性が育まれ、その後のずっと長い余生に多大な影響を与える特に貴重な時期に、たまたま同じ地域で同じクラスになった人や、同年代の人の平均に振り回されて、勝手に決められたことを同じレベルでできることを求められ、物の見方や考え方まで小さな枠の中に狭められ、本来のポテンシャルを見失ってしまうのは、本当にもったいないことだと感じませんか?

私たちの親世代、子どもたちにとっての祖父母世代の多くが、「勉強するのが子どもの仕事」というのを聞いたことがありませんか?

あなたも自分の親や祖父母からそのように言われたことはありませんか?

このように言われると子どもは

『学校に行って勉強さえしていればいい』

という認識を持ちます。

でも、多くの子どもは学校の勉強に興味も関心もないため、集中できるはずもなく、聞き流している状態です。

成長と共に学校では、定期的に試験を実施するようになり、多くの子どもは強制的に勉強せざるを得なくなります。

『勉強=仕事=義務』という認識になるのです。

好きなことでも『義務』となると、楽しむことができなくなりませんか?

勉強が義務になると、子どもの自由な創造性、独創性、発想力などが失われ、一人一人が持って生まれたポテンシャルが色褪せていきます。

知識というのは、本来自分が知りたい、深めたいと思うところから興味、関心、好奇心が湧き、集中することで身につきます。そして、その知識を身につけたいと思った原因があるわけで、そこで実際に身につけた知識を活用することで定着していきます。

興味『もっと知りたい!』

理解『わかる!』

定着『できる!』

活用『使える!』

これが本来の学習の流れではないでしょうか?

知識を身につけるとは、本来自分のためにするもので、楽しみながら行う趣味に近いものなのです。

欧米ではすでに何年も前から、教科書を使う勉強や試験制度は廃止しています。

世界の大富豪たちの子育て>>

子どもたちの好奇心を尊重し、自主性を伸ばすことで、フットワークの軽い子どもたちは制限がなければ、自分の深めたい知識のためには率先して学び取りにいきます。

身についたかどうかは重視されず、50分ごとに切り替わる授業というものにどんな効果があるのか?本当は何を目的としているのか?もっとも吸収力の高い学童期を投じて本当にすべき経験なのか?

そんな思索を繰り返して自分の中では答えが出ていても、本人の意思と課題の前では、「学校には行かなくていい」と言えない歯痒さを感じるし、「本当は行かなきゃいけない」という風に思い込まされるバイアスに憤りを感じていました。

学校というところは、市や教育委員会、国の制度で動いているわけで、校長先生や先生方、関係機関の方々とのやり取りの中で、本当はおかしいと感じていても、組織の内部から変わること、何か違うアクションを起こすことは難しいということもよく分かりました。

各地域に拠点としてあり、一方的ではなく、双方向でリアルに関わることのできる学校だからこそでできることがもっとあるのではないかと、いろいろ提案してみても、結局明るい回答は得られませんでした。

公立の学校は、市や教育委員会などを通さなければ何もできません。『地域みんなで子どもを育てよう』そんなスローガンを掲げていても、実際には何かあった時の責任がまず真っ先に頭に浮かぶ窮屈な世界です。

突然の急激な変化は見込めず、制度が変わるのをただ待っていても、私たちは歳を取るだけです。

一方で、通えている子どもたちにとっても闇深い問題があります。

学校に行くのが当たり前!

行きたくても行けない人もいる(いた)!

子どもは勉強するのが仕事だ!

国(お上)が決めた制度だ!

ルールだ、義務だ、行かない(行けない、できない)のはただの甘えだ、怠惰だ、育て方が悪い、環境が悪いという強い固定観念に縛られている祖父母世代。

そのような思い込みや社会の中で育ち、時代の流れの中で何だかそれも少し違うかもしれないと違和感を感じ始めながら、日々の忙しさや制度、周りの同調圧力にかき消されてしまう親世代。

強い影響力によって祖父母や親の価値観を同一視している子ども世代。

そのような狭間にいるのが通えない子どもたちです。多くの子どもたちが人と同じであるべきという同調圧力の中で、否定されている感覚にとても息苦しい思いを感じながら、自分を押し殺して生きています。

学校に通っている子の親からすれば、『不登校』の子どもに感化されたくないし、自分の経験や制度、社会の風潮的に、子どもは学校に行くのが当たり前だし、勉強するのが仕事という価値観であり、そのような認識は空気のようにその子どもにまとわりついています。

まだ幼い子どもたちには、親や自分の現実の影響は絶大なので仕方がないのかもしれません。「行きたくない」なんて言えない子は、自分の感情に蓋をして学校に通いながら日常を送っています。

まだこんなに幼く、本当は夢と希望に胸を膨らませながら好奇心の赴くままにあらゆることをスポンジのように吸収できるはずの子どもたちが、自分の感情を見て見ぬふりをし、諦め、絶望し、日々自分をすり減らしながら生きているなんて。

子は宝。少子化に拍車がかかる現代。次世代を担う貴重な存在。

なのに、時代が変わっても教育は変わらないまま。むしろ鬱の種を蒔いているようにすら感じます。

気づいた大人から、子どもたち一人一人のポテンシャルを感じ取り、思う存分その芽を伸ばせるように、社会や環境を整えていかなければならないと感じます。

「学校」というのはほんの通過点でしかありません。学校に行くか行かないか、ではなくて、この人生で何を成し遂げるのかという視点から、今すべきことを一人一人個別に捉えられる社会になれば良いのに、と思います。

通えないのは、まだ充電が必要だから。見失った自分を見つけられるように静かにアプローチしながら見守り、本人の領域を侵すことなくことなく先を見据えて関わっていきたいと思います。

立ち止まって振り返り、戻って埋める

そうやって私も同じように諦めていたら、今のように目覚ましが鳴る前にパッと目を覚まし、朝からからだがスムーズに動き、毎日が愉しくて仕方がなくて、未来のことをいろいろ思い巡らして幸せでいっぱいになるようなことはなかったかもしれません。

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みんなが当たり前だと思っていることを疑ってみる。 とことん疑って、いろいろな本や論文を読み、たくさんの人の話しを聞いているうちに巡り合った教えによって、それまで何年も蓄積していた疲れが嘘のようになくなり、驚くほど頭も心もからだも軽やかになりました。 子どものスポーツクラブのイベントでは信じられないぐらい動き回ることができて、他の子のお父さん、お母さんたちにも相当驚かれたほどでした。

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私自身はもちろん、子どもたちも、それぞれが満たされていなかったステージに立ち戻って、それぞれのステージを満たそうと意識する。言い方が回りくどいのですが、実際に時間を戻せるわけではないし、例えば、言葉も分かるしある程度身の回りのことが自分でできる子どもを物理的に赤ちゃんや幼児のように扱うことは不可能な訳で、精神的に振り返って足りなかった部分を認識して意識的に満たそうとするという感覚です。

周りの他人の常識や当たり前など、これまで無意識のうちに振り回されてきた一切のモノと距離を置いて(実際に一切の連絡を断つということではなくて精神的に)自分自身と子どもとのこれまでの関係性を静かに振り返ると、必ず見えてきて感じるものがあるはずです。

ただし、親子関係もあらゆる人間関係も、日々のさまざまな行いにおいても、時に空をつかむような、虚しく空回るようなことが多々あります。

これは私たちは宇宙の一部であり、もれなく天体の影響を受けているから。自分の軸を持てとか、信念がないとか言われることがありますが、ここにも陰陽があり、ある意味では正しく、またある意味では間違っているのです。

子どもの頃から一貫して嫌だと思うこともあれば、歳と共に年々和らぐ心情もあります。一貫して好むものもあれば忌むものもあり、天寿の全うに近づくにつれて各々の信念が明確になるのです。私たち人間はもともと螺旋状に上昇していく生物とされています。遠い祖先を振り返ると進化や退化という名の進化を繰り返してきたことが分かります。

このことは星の動きを見ても明らかです。

天体は逆行を繰り返しながら私たちの回りを回り、私たちはこのような天体の影響を受けて行きつ戻りつしながら進化を繰り返しているのです。中には一貫して信念がまったく変わらない人もいるのかもしれませんが、逆にいえばそれはある意味では何も上昇していない、進化していないとも捉えられるのです。

あまりにもコロコロと気が変わるのもどうかと思いますが、年齢や人によってはそういう時期もありますし、単純に意志を貫くことは頑固なだけとも取れるのです。

2022年のエフュメリス(天体暦)

https://www.astro.com/tmpd/cpzkfileI47tyP-u1615597232/astro_d5eph_yuk.9972.134117.pdf

2023年のエフュメリス(天体暦)

https://www.astro.com/tmpd/cpzkfileI47tyP-u1615597232/astro_d5eph_yuk.11142.109072.pdf

この他の年のエフュメリス(天体暦)や出生図、経過図などは誰でもastro.comで出生データを入力すると無料で作成することができます。

 

それぞれの幸せを探究し続ける

セルフケアサロンおうちリトリート研究所では、それぞれがありのまま心地よい自分、好きであり続けられる自分を無理なく緩やかに探究しながら、子どもとの時間を愉しみ、子どもも大人も心身を健康に、心豊かに、共に学び、共に育ち、支え合い、助け合い、尊重し合い、信頼し合い、同じ時代を生きる仲間として限りある生命を生き抜くことを目指しています。

そして、大人も子どもも一緒に心身を整えられる方法を学び、実践と検証を繰り返しています。また、笑顔で会話を弾ませ、ともに愉しみながら囲む食卓を大切にしています。

味だけでなく『食べること』そのものを愉しみ、味わい、感謝しながらいただくことで、からだがその食べ物から栄養を受け取る準備が整います。体調不良、悩みや心配事、揉め事などで食欲が落ちている時に豪華な食事を出されても、食事は喉を通りません。無理やり押し込んでも消化も吸収もされないのです。そんな時には、とにかく安心できる温かい環境でただぐっすりと眠って心身を休ませることが一番大切です。また、たった一杯のスープが美味しく、滋味豊かに沁み渡り、からだを元気にしてくれるはずです。

食養生一つとってもさまざまな健康法があり、ベジタリアンやフルータリアン、ローフードなどもある時期には良くても、やはりここにも陰陽の理があり、野菜ばかり、タンパク質ばかり、炭水化物を避けるという特定の方法に永続的にこだわってしまうとからだは偏ってしまいます。陰と陽、4つのエレメント、4つのキングダム、すべてをバランス良く取り入れることで、私たちのあたま(思考)、こころ(感情)、からだ(行動)が摩擦なく一つの方向に向かい、最高のポテンシャルを発揮できるようになるのです。

もちろん、心身を整える方法は1つではありません。ある人には効果が実感できても別の人にはまったく効果が見られないこともあるかもしれません。私たちは一人一人、姿形、色、目鼻立ち、みんな違います。経験してきたことも考えたり感じてきたことも。食べてきたものや空気、環境、生まれた年月などによって外見だけでなく中身の隅々まで違う、それぞれが唯一無二の大切な存在なのです。

そして私は、生まれ持った才能と生きる中で身につくさまざまな能力、視野、思考、そして生きながら巡り合う在りたい姿、それらを融合したものが本来の自分だと感得しています。

それぞれの正しい整え方を身につけて自分で心身をメンテナンスできるようになることで、本来の自分に生まれ変わって輝き、日々を愉しみながら人生を邁進することができるようになるはずです。そして、大人のそのような姿を見、聞き、感じることが、子どもたちもまた、幸せな人生を歩むために何よりもパワフルな糧となるのです。

私は私。ありのままで心地よい、いつも何時でも好きであり続けられる本当の自分に生まれ変わる

 

参加されている方たちの声

子どものことを心から大切に思い、存在そのものに感謝でき
るようになった。
周りの目が気にならなくなった。
緊張感に満ちた居心地の悪い日々から解放され、嘘のように
心のつっかえが取れた。
表情が明るく柔らかくなり、子どもの関係だけでなく、義父
母や職場の人の言動に捉われることがなくなって心がふわっと
軽くなりました。
子どものことを心から信じて寄り添い、見守れるようになっ
た。
頭やからだの重だるさ、原因不明のからだの不調がなくな
り、からだか軽くなった。
苦手な人がいても同じ空間で愉しく過ごせるようになった。
お互いを尊重し合い、笑顔で会話を交わせるようになった。
自分の本当にやりたいこととやるべきことが日に日に明確に
見えるようになった
自分の生きる目標のようなものを見出し、その実現に向けて
毎日前進できていることが実感できて楽しい
原因思考(過去)から目的思考(未来)に変わり、生産的に
一つ一つを完了させていくことができるようになって自信がつ
いた
失敗も成功の糧と捉えられるようになり、新しいことにチャ
レンジできるようになった

これまでさまざまなカタチで関わり、お話しする中で見えてきた1500人の悩み、理想と現実。多くの人が日々の『現実』に追われて、自分を見失っていました。見て見ぬフリ、気づかないフリをしていたり、向き合うことを避けていました。

自分の現在地を直視し、どん底であることを認識しない限り、やるべきことも本当に在りたい姿も見えてこないし、思考も感情も行動も、何一つたりとも動き出しません。上部だけを取り繕うような、その場限りの表面上のお付き合いはできません。本気で何かを変えたい人だけに全力で真剣に向き合っています。

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フリーコミュニティ

おうちリトリート研究所は、親子で参加し、互いに提供し合えるコミュニティを目指しています。

大きなコミュニティでは発言してもかき消されてしまったり、誰かの似たような発言に埋もれてしまい、大勢の中に所属しながら孤独を感じてしまいます。

おうちリトリート研究所はお互いを身近に感じられる小さなコミュニティ。それぞれが居心地良く過ごせるようにあなたのアイデアやサポートが必要です。子どもを大事にしながら、自分も大切にする。なぜなら、子どもは親の一部でもあり、親は子どもの一部でもあるから。上っ面だけでない本音を語り合い、時には愚痴や不満を聞いてくれる。でもそっと背中を押してくれたり、また一から前向きに歩み出そうと思わせてくれる。時に厳しく、お互いが寄り添うことでこれまで以上に分かり合い、一人の人間として尊重し合い、心地よい距離感で愉しむことのできる親子、そして仲間をみんなで一緒に創り上げていきましょう♪

いつまでも元気で健康で、子どもたちの負担にならずに若々しくいられますように。そして、子どもたちの生きる未来が、ひとりひとりが自分を愉しみ、輝きながら助け合える社会でありますように…

四十を過ぎてなお半分以上の余生があるといわれる人生100年時代の今。

おうちリトリート研究所では、私たちはもちろん、これから成長して社会に出ていく子どもたち、これから子どもを産み育てようとする人たちが未来に希望を持ち、人と比べることなく自分という個と人生そのものを愉しみながら、同じように自分の個性と人生を愉しみながら生きる多くの他人とともに、利己だけではなく利他の心をもってより良い未来を築いていこうと思えるように、そしてそのために日々の生活をハイパフォーマンスで過ごせるように自分でからだを調えられるメンテナンス力を身に着けることができることを願い、実践と検証を続けています。

地球上に生きる私たちひとりひとりが、個性あふれる色とりどりの花を咲かせて、地球が彩り豊かに光り輝く星になりますように。

ゲームや学習を通じて知り合うフリーコミュニティ【Borderless】

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