vol.06 歴史とエッセンシャルオイル

世界の歴史を通して、香油と香辛料は日常生活に重要な役割を果たしてきました。

 

 

歴史の父として知られるヘロドトス(紀元前484年から425年にギリシャに住んでいた歴史家。)は、アッシリアの女性がサイプレスやシダー、フランキンセンスの木に石で傷をつけ、そこに一定の濃度になるよう水を加えていたことや、彼らはそれらの心地よい香りを漂わせようと、これを顔や体に塗りつけていたこと、毎年クリスマスには大量のフランキンセンスをバビロンの大祭壇の上に供えたことなどを記録しています。

 

 

ローマの歴史家プリニウス・エルダー(AD23〜79年)は、「我々の最も低い見積もりでも、インド、中国、アラビア半島は芳香化合物と引き換えに、毎年、私たちの帝国から億単位のセスターセス(小銀貨)に値するものを持ち帰る」と不満を記していました。

 

 

紀元前1世紀にシチリアに住んでいたディオドロスは、全世界の神々の礼拝に捧げるのに十分なだけある」と、アラビアのフランキンセンスの豊富さを書き記しています。

 

 

17世紀にイタリア人理髪師のフェミニスが作ってドイツのケルンで売り出した薬草水(ケルン水)が現在のオーデコロンの原型とされています。ケルン水をフランス語でオーデコロン(Eau de Cologne)と言いますが、いわゆる香水のことです。「オー・アドミラブル(素晴らしい水)」が基原とされており、この香水をドイツにいたフランス兵が持ち帰ったことで、フランスで広まったとされ、「世界最古の香水」と言われています。

ナポレオンはネロリ(オレンジ花)とその他の成分を含むオーデコロンを愛用し、162本ものオイルを注文したと言われます。エルサレム攻略後、十字軍がヨーロッパに持ち帰った品物の中には、固形のローズエッセンスが含まれていました。

 

 

12世紀の修道僧・漢方医で自然療法の祖と言われるヒルデガルド・ビンゲンは、健康的な生き方を提唱した中世で最も重要な女性の一人で、薬草とオイルを広く治療に用いました。このベネディクト派の尼僧は、自らの修道院を創設し、数多くの業績を残しました。ヨーロッパに初めて「ラベンダー」という言葉とともにその優れた薬効を紹介した人物と言われています。

ヒルデガルドは、心と体は一体であるという考え方に基づいてハーブやスパイスを健康的なライフスタイルのために積極的に取り込み、その治療特性を探求し、知識の伝授に努めました。

彼女の本『自然学』では、植物とその治療への応用について200以上の章が当てられています。

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