
今度こそ、本当にお金持ちになる方法を知ることができるのでしょうか?
今度こそ、本当にお金持ちになる方法を知ることができるのでしょうか?
この方法を知れば、お金持ちになるための土台を築くスキルが身に付くはずです。
どうすれば自分が理解され、受け入れられ、自分の考えや行いで人に喜ばれ、感謝されて、愉しみながら収入を得て、生活できるのか?
もしもそんな方法があるなら、あなたは知りたいですか?
それとも、
そういう話は詐欺だ。騙しだ。あるわけない。結局地に足つけて地道にコツコツ働かなければお金は稼げないし、生活できない。
そう思いますか?
インターネットで何かを検索する時、本を購入する時、何らかの情報に触れる時、私たちは必ず頭の中で質問をしています。質問は大きく2つに分かれます。
一方の質問は1のような『未来志向的な質問』です。その先に大きく広がっていくイメージの質問です。
もう一方の質問は2のように『原因志向的な質問』です。一つの事象を深く掘り下げ、狭まっていくイメージの質問です。
たとえば、減量してキレイに痩せたい場合。始めはどういうダイエット方法があるか?を検索します。あるいは、どこかで耳にして知っているダイエット法について詳しく調べてみるかも知れません。
とにかく検索するとさまざまなダイエット方法がズラリと出てきます。その中から自分にできそうなもの、何か心に引っかかる文言があるものをクリックして、その先を読み進めるはずです。
最近だと、動画検索をして観て、聴いて知識を広めるというパターンも多いかもしれません。
新たな情報に触れながら、私たちは無意識のうちに脳内で対話しています。
脳内の対話は、実際にそれを自分が行った場合のイメージにつながっていきます。そしてそのイメージがある程度自分の理想の姿まで辿り着くと、行動の段階に進みます。
いくつかの本や情報、動画、音声などで知識を得ながら、自分にできそうなところのピックアップを繰り返すうちに、自分流の具体的なメソッドが完成します。
情報→思考→行動、多くの人はこのような流れを繰り返します。そしてその過程で必要だと判断したものを購入し始めます。
そして、いつの間にかメソッドをより完成度の高い、失敗しないものにすることに執着し始めたり、必要と感じたものにこだわり始めたりして、そちらの情報収集の方に躍起になってしまいます。
知識やツールで自分の頭の中や、身の回りが満たされることで、やった気になってしまったり、いつでも完璧にできる状態に安心感を感じると共に、程よく心地よい疲労感と充足感を感じてひと休み。
『鉄は熱いうちに打て』という言葉がありますが、もっともアドレナリンが出ている状態の時をそのような行動に費やしてしまい、いざ本格的に実践する前にやる気や情熱が下がってしまうのです。
これが多くの人の学習タイプです。学習タイプについてはまた別のところで詳しく見ていきます。
ほとんどの情報は、この多くの人に当てはまるように作り込まれています。
実際に行動に落とし込んで実践し、結果が得られるかどうか?
ではなく、
減量してキレイに痩せたい(持っている悩みや欲望)について、現状と減量してキレイに痩せた結果を比較想起させて鮮明にイメージさせ、『減量してキレイに痩せたい』という意志を明確にさせることで、情報や道具を売っているのです。
多くの人が実際に減量してキレイに痩せてしまったら、その情報や道具はどんどん売れなくなってしまいます。必要とする人がいなくなってしまうからです。
そこで結果には至らずに、『減量してキレイに痩せたい』という意志を明確にさせるところまでを繰り返して、情報や道具を売り続けているのです。
『減量してキレイに痩せたい』って5回も言った・・・
思い巡らせてみると、世の中のあらゆることがこの仕組みで動いています。
『学校』だって、義務教育であればそのゴール(結果)は高校や大学受験で、そのために学校教育や塾、参考書、個別指導などが売られています。
『病院』だって、私たちはちょっとしたことでも気になると病気や症状について勝手に情報を集め始め、不安になり、自ら病院に足を運んで、診察や処方薬にお金を払っています。
絶対に合格する方法や、絶対に成功する減量法、病気にならないからだ作りなんぞが出回ってしまったら、その市場は崩壊です。
どれをとっても、『結果』を確約されているものは一つもなく、最終的には自己責任であることも織り込み済みで、私たちはそれを当たり前のことと受け入れて大切なお金も時間も投げ出し続けています。
結果が得られなければ自分の努力不足であると認識するか、これは自分には合わなかったと判断しては繰り返し別の手段や方法を探すか、しまいには自分に合う方法はない、そのような結果は得られないと諦めて、自暴自棄になるか、です。
売る側の視点で考えてみれば、理想の未来を思い描かせ、現状とのギャップを認識させるだけで、それぞれが勝手にそのギャップを埋めるために行動を起こすのです。そのギャップを埋めてくれそうと錯覚させれば、勝手にそれぞれが飛びついて買ってくれるのです。
私たちは結果を得た姿が鮮明にイメージできればできるほど、すぐに行動したくなります。
これが私たちの購買意欲のメカニズムです。
このままでは、私たちは購買意欲を刺激されて、深く考えずに不要なものや質の低いものをつかまされてしまうかも知れません。
しかも、すべては自己責任です。
もしかすると、購買意欲のメカニズムを知ることで、冷静に要不要を見極められるかもしれない。
私はそんなものには簡単に引っかからない。
これまで一度だって、無駄買いなんてしたことない!
そういう方はきっと莫大な資産を築けているはずです。
でも実際には、多くの人が誇大広告も甚だしいような宣伝文句に煽られて気持ちが昂り、最初から意図していたのではないものを購入し、後になって悔やんだ経験があるはずです。
100年以上も前から人間が物を買う心理は変わっておらず、そのポイントを突いて物を売りつける手法は日々進化し続けているのです。
物が欲しくなることや何らかの結果を望み、実際に購入することがいけないのではありません。あれこれ考えては想像し、迷っている時間はとても楽しいものです。
でも、あれだけ試行錯誤し、ニヤニヤしては楽しんでいたものが、実際に手に入ってみると「あれ?なんだかそれほどでもなかった」ということも、多くの人は経験しているはずです。
このような『失敗』や『後悔』はうまくいったことよりも強く、記憶に残ります。これを心理学用語で『ツァイガルニク効果』といいます。
実らなかった初恋、失恋、株やギャンブルで負けたこと、受験やテストの失敗などは、その悔しさや心残りからいつまでも覚えていて、時には何とか取り戻そう、巻き返そう、などと考えてしまいます。
うまくいったことを継続すれば成功できるのに、多くの人は少し物事がうまくいくと、『今ならいける』と過去に失敗したことに再チャレンジするのです。
未完の記憶に囚われてしまうと、100%一点に集中することができません。
心にひっかかりがあると、ポテンシャルを最大限に発揮することが難しくなってしまうのです。
このような思考パターンは、私たちの受けた学校教育によって身についたものです。
1時間目は国語、2時間目は算数、3時間目は理科・・・私たちが本当にマスターしたかどうかは関係なく、数十分ごとに次の授業に切り替わります。きちんと終わらせないことが習慣づいてしまっているのです。
学校教育は受験というゴールで幕を下ろしますが、身についた習慣は意識して書き替えないかぎり一生そのままです。
過去の失敗に囚われないためには、『自分の強み』を見つけ出すことが大切です。
本当はすべての人がさまざまなことを満遍なく標準的にできる必要はないはずです。
苦手なことがあって、得意なことがある。でも私が苦手なことを得意とする人がいる。逆に私が得意なことを苦手としている人もいる。
お互いに補い合い、助け合いながら生きる社会になれば、それぞれが自信を持つことができ、誰かが良しとする他人軸の理想像を追いかける必要もなくなるのです。
「できないこと」、「苦手なこと」、「失敗したこと」などへのコンプレックスを掘り返すのではなく、「得意なこと」、「頑張ったこと」、「最後までやり遂げたこと」の方に着目して失った自信をリカバリーしていくことで、コンプレックスを手放し、他人軸の悩みから解放されて、余計な無駄買いを排除することができるのです。
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