Vol10. 枯樹生華

感情と思考がどんどん深く潜っていき、裏表のさまざまなつながりが明確に感じられたような気もしたけど、核心を掴んだかと思えば、それはすぐに指の間をすり抜けていくようなもどかしさを感じながら、晴人は無空間から目を覚ました。ベッドの足元には猫の姿をしたコハクがスヤスヤと眠っていた。

日の出と共に目を覚まし、太陽光を浴びながら冷たい水を飲み、グーンと体を伸ばして大きく息を吸い込み吐き出す。体の隅々まで目覚めて、とても心地良く一日が始まる。

畑仕事にも精が出る。トマト、キュウリ、ナス、オクラ、トウモロコシ、カボチャ、ズッキーニ、レタス、スイカ、枝豆、ビーツ、レタス、ジャガイモ・・・・

心を込めて手入れしながら育てた色とりどりの野菜は、色鮮やかで、どれもみずみずしくて、甘みもあってとても美味しい。これまで苦手で敬遠していた野菜たちの美味さを全身でしみじみと感じながら、晴人は太陽の恵み、水の恩恵、自然の偉大さに毎日感謝を感じずにはいられなかった。

ここでの生活で、頭も心も体も、全神経すべてが研ぎ澄まされているような、身体中が何一つ無駄なく巡っているような、満ち満ちて余分が何もないような、信じられないような快さを全身で味わっていた。感情も思考も日を追うごとに明確になり、充足感に溢れている。だから、さまざまなことを部分と全体とを交互に捉えて俯瞰することができるし、全体像が掴み取れる。

畑仕事を終えて気持ちよくかいた汗を温冷シャワーで洗い流していると、身も心もスッキリとして余計に頭が冴えてくるように感じた。

そんな中で、晴人はこの世界にやってきた時に聞こえた話し声を思い出していた。

「そんなに人々が邪魔なら、どうしてそのテクノロジーで一思いに消し去ってしまわないんだ?彼らにとってみればその方が簡単に済むだろうに?人々を甚振って楽しんでいるのかい?悪趣味にも程があるね。」

「それとも、自分たちの権力を誇示したいのかな?自分たちの圧倒的な強さをひけらかして人々を完膚なきまでに叩きのめしたいのかね?」

そこから導き出される答えは・・・?
彼らの目的は2つ・・・・

・・・・残念ながら手遅れです。
・・・・大多数を救い出すことはもはや不可能です。

大きな声や強い勢力で人々を既存のシステムや常識に押し留めようとするのは、いつだって支配者側だ。一貫してずっと、自分たちの金や権力や地位を守り、さらに拡大しようとして他を困窮させ、搾取し続けている。じわじわと着々と、延々と静かに闇を広げて、気付かないうちにすぐ目の前に迫っている。目に見える世界では支配する側と支配される側という二極化で格差はどんどん大きくなっている。僕たちは支配される側、搾取される側という大きなグループやコミュニティに知らず知らずのうちに属していて、大勢と同じという不平等な平等を受け入れてしまっている。一%が世界の九十九%の富を握っているのだから、支配者側はその気になれば何だってできるだろう。でもそれは人々がお金に支配されている場合に限ってのことだ。人数はこちらの方がずっとずっと多いんだから、団結しさえすればいくらでも覆すことができるはずなんだ。

どんどん簡便になっている世界で、ここ数十年の技術の進歩はとても目覚ましい、と僕たちは錯覚している。巨額の費用をかけた研究も、僕たちの実生活が慈愛や善意に傾くように、本当に人々の暮らしが心身ともに豊かになるようにとは望まれていない。相変わらず世界の九十%のことは解明されておらず、蓋を開けてみればほとんど何も進んでいない。それは、大金が投じられてそれっぽい格好をした人が堂々と研究していると豪語し、時折専門用語を並べ立てた講釈を垂れていれば、どうせ難しいと感じて誰も実情を確認しようともしないし、人々が勝手に偉業と認めてくれるということを知っているからだ。長々とした説明を解読したり、集中して思考する能力もどんどん失われているから、人々は簡単に騙されてしまう。だから、そうした手口がどんどん広まっている。誰も誰が何をしているのか、本当のところは分からないし、国や権力者が権威や影響力のある人を使って大々的に宣伝し、それをメディアが取り上げれば、はい、出来上がり!僕たちにとって、人間にとって、他の生命や地球にとって、それは良いものなのか、本当に必要なものなのかなんて、誰も真剣に考えていない。ただ、注目を集めそうなキーワードを見つけて、できるだけ低コストで『何か』を大量に作り、勢いで買わせる。すべては僕たちが気付かないように派手で大袈裟なパフォーマンスを繰り広げながら、背後から僕たちに忍び寄って闇で覆うための作戦だったんだ。

実際に、兵器の開発や気候変動、人工的な天変地異を引き起こす、人々の恐怖や不安を煽るようなテクノロジーばかりがどんどん発展している。数十年前まではテレビや新聞でもこうしたニュースは大きく取り上げられていたところをみると、この間に支配者側の包囲網は整えられてきたのだろう。当時の例えば人工地震の記事や映像を目にしても驚くほど多くの現代人は信じようとしない。人々が国や権力に盲従するという支配者の仕組みも、同様に整備されてきたのだ。SNSによって個人の発信が活発になり、ある日、支配される側の、同胞であったはずの人が知らず知らずのうちに懐柔されていて支配者を擁護するような発信をし始める。そうした動きが混沌をますます深めている。

支配者は現在、地球の人口削減とグレートリセットを推し進めている。何のために?
地球の汚染、食糧や資源の消費量、コントロール範囲の限界、汚水や汚物の問題など、いろいろな憶測が飛び交っているけど、本当のところは僕たちには確かめようがない。ただ、僕は思う。これは多くの人々が目覚めているからなんじゃないか?手のつけられない状態になる前に、こちら側の人数を減らそうとしているんじゃないかって。

人々は心身ともに健やかになれば、感受性が豊かになり、思考を深めるようになる。時間はかかるかもしれないが、慈愛や善意に基づいた選択が増え、真の愛情によって結ばれ、子を育むようになるだろう。ここ数十年の動きをみていると、それは支配者にとってとても都合悪いことなのだというのが見て取れる。そのため、巨大な金権によって国民の経済力を掌握し、教権によって人々に常識やルールを教え込み、価値観や思考によって感情を操り、王権によって国民を隷属させてきた。

そうまでして長い年月をかけて人々を隷属させてきた支配者が、人口削減を提唱し、それに向かった動きを見せている。実際にそれが行われたなら、誰のものでもない自然や大地や資源を所有し、見境なく生産したものを大勢の人々に見境なく売りつけては利権を貪り、巨額の富と強大な権力を手に入れてきた支配者は、それらを買い漁り続ける人々、それらを処分し続ける人々、労働力はもう必要ないということなのだろうか?人口削減といっても最低限の従順な人々を残して奴隷化するのか?それとも行き過ぎたテクノロジーによって、従順な人々以上のロボットをすでに生産済みなのか?廃墟となった建物や荒れ果てた土地はどうするのだろうか?過剰生産によって溢れかえった食品は動物たちに食い荒らされ、腐り、細菌が蔓延するのだろうか?それとも少しずつ生産量や流通量を調整して、食糧難も巻き込みながら上手いこと生き残った人々に綺麗に消費させていくのだろうか?計画者の計画通りに事が運んで、支配者にとって丁度良い規模感になった後は、安寧幸福の世が実現されるのだろうか?

つまり支配者は、莫大な金や権力を手に入れ、行き過ぎたテクノロジーによって自然の摂理さえも操っていると思い込むことで、己らを神話に出てくる大いなる存在のように錯覚しているんじゃないだろうか?己らの私欲のために地球や資源を散々大破しておいて、すべてを洗い流す大洪水のようなものを引き起こして、この地球を終わらせようとしているのだろうか?しかし、そうして闇深い支配者が生き残ったところで、同じかさらに次元の低い世界となるだけではないだろうか?その気になればきっと彼らは、その手に握られたスイッチ一つで現実にそうした恐ろしい事態を招くことができるだろう。それなのになぜ、わざわざ人々の混沌を助長するように計画を知らしめたり、自分たちの存在を仄めかしたりするのだろう?そうした人々の恐怖や不安などによる混乱が何かの動力になるのだろうか?人々に計画を知らせた上で行うというシナリオ通りに実現したいという歪な矜持なのだろうか?何かどれもいまいちピンとこない。どうしてわざわざ?としか思えない。何か別の目的があるのだろうか?

こうして思考を深めていくと、結局は人々が自らの選択によって目覚めるか目覚めないか、目覚める人と目覚めない人の分断のためなんじゃないかというところに行き着いてしまう。金融、メディア、インターネット、報道、製薬産業や石油産業、政府、司法、軍隊、秘密機関、武器産業、教育、医療、科学、エネルギー産業、テロ、地球温暖化、ウイルス、冷戦、酸性雨、地震、津波、落雷、放射能、電磁波、食糧、衣類・・・・強欲が方々で膨大化し過ぎたために、もはや世界中の人々がこの狂気に満ちた世界に大勢気付き始めている。国や宗教や思想を超えて世界中の人々がつながり始めている。これでもかという傍若無人で独裁的な振る舞いは、初めは人々がどこまで耐えられるかどうかを試しているのか?とも考えた。でも、食糧や資源、汚水や汚物の問題を考えると、技術によって生み出したロボットの方がよっぽど都合が良いだろう。

頭の中が堂々巡りをしながら爆発しそうだった。僕の混乱に応えるように、国主琉雅の声が頭に響き渡った。

「より大きく、より広がるように、より完璧に、より住みやすくなるように、そうした意識は本来人類に内在しているものだけど、そうした意識が個人ばかりに向けられるようになっているんだよ。日々の忙しさと周りへの同調で疲弊して余裕がなくなり、心の声や善意に鈍感になり、自分や自分の近しい人たちが豊かになれば、他人のことはどうでもいいと思っている。他人の困りごとに無関心な人たちは、やがて、自分たちだけのより多くの豊かさを追い求め、欲望は膨らみ、欲するものを手に入れても飽くことなく、さらに多くのお金や物を欲し続ける。それでも決して満たされることはない。エゴや偽善や自己満足のために寄付や支援をしたりすることがあったとしても見返りを求めたり、自己陶酔に陥ったりする。その団体がどういった目的で活動しているかなんてあまり真剣に考えたりはしない。自分の名誉が高まるものであればそれでいい。そうしたところだけで富の循環が生まれ、格差はどんどん広がっている。」

それは僕も知っていた。母がさまざまな事例を挙げながら繰り返し話していたことと現実がいつしか繋がっていって、この世界はピラミッド構造のようになっていること、一番上の少数の何者かが世界を支配していることが感じられるようになったし、支配者は何かとても大きな力を手にしていると勘違いをしていて、自分たち以外の生活に思い巡らすことなんてないし、世界をどうとでも好きなようにできるんだろうなって。でも、僕なんかには想像できないくらいの金も権力もある支配者が、僕たちがそういう疑念や反骨心を抱くような痕跡を残すのだろうか?という疑問が残っていた。

国主琉雅の声は続いた。

「一%の人間が世界の九十九%の富を牛耳り、それにあやかろうとする者は後を立たない。凄まじく増幅した闇の力は、自らの力では留まることができないところまできてしまった。想像してみてほしい。次々と追従してくるのは己らの強欲を満たそうとする自己中心的な執着である闇だ。無論、引き返そうなどという意識が湧き起こったとしても一瞬で吹き飛ばされてしまうだろう。そこから抜け出そうとしても、足を引っ張られて引き戻されてしまうかもしれない。人間として生まれた以上、彼らにもあらゆる感情が齎されている。もしも慈愛や善意の欠片が残っていて目覚めたならば、己の行いを顧みて、自らはそこから抜け出せないとしても、何か贖罪の手立てを考えないとも限らない。そうであれば、九十九%の人々が一人でも多く眠りから目覚めるように、あらゆる手を尽くそうとするかもしれない。それでも人々が目覚めなければ、犠牲を厭わない手荒な真似をするかもしれない。邪魔をされないためには、まずは闇側の味方を欺かなければならないのだとしたら・・・・?
あるいは、もしも支配者が骨の髄まで闇に乗っ取られていたならば、彼らは強欲に注がれたその凄まじいまでの闇の求心力によってすべてを巻き込み、地球はふたたび破滅の道を歩むだろう。」

「情報を追い求めたところで、おそらくその真意に辿り着くことはできず、時間を浪費してしまうだろう。時間は君たちの人生そのものだ。確かなことは、高度なテクノロジーは、それを手にした人々が慈愛や善意が闇を上回る選択を常としない限り、誰かが独占したり金儲けのために悪用したりして、他をより一層苦しめることになり、心を貧しくさせていくものだということ。地球人がどちらに傾くかは、一人一人の判断に委ねられているし、ただ生き延びるのか、宇宙の真理に目覚め、未来永劫続く魂の叡智の獲得に向き合い、大いなる家族みんなの平和な世界を願うのかはそれぞれの裁量に任されているんだよ。」

琉雅の『君たち』という語り口から、ナユタやマナスたちも同じように無空間を彷徨ったのだと思った。

テクノロジーの進歩によって何でもできるように装い、それが金や権力に偏った人々の手中にあることによって、人々は絶望感や無力感の混沌の中で、感受性も思考も奪われてしまった。やがて、支配者層は己の力を誇示するために人々を巻き込み、生命をも奪っている。

どうしていくのだろう?この物質的な世界で、これまで生きてきた中で、社会的に罪に問われていなくても、誰もが人には言えないような、自分だけが認識している罪をいくつも重ねてきただろう。生命や物を粗末にしたり、新しいものに飛びついたり、自然や地球の汚染を見て見ぬふりをしたり。慈愛や善意に背いた行いからは誰しも目を逸らしたくなるし、さっさと記憶から消し去ってしまうだろう。罪の大小は他人ではなく自分が決めるもの。すべての行いはなかったことにはできない。しかし、地球を生きる魂は、まだまだ未熟で、まったく過ちを犯さないものなど稀有だ。たとえ社会的な刑罰を免れていたとしても、自分の中では許せないその行いによって、誰かを、何かを、傷つけてしまったということを認識して受け入れること。もう二度と同じ過ちは犯さないと、自分自身に誓い、その経験と記憶を魂に刻むこと。高次元に進むかどうかは、それぞれの自由意思によって選択するもの。あらゆる経験や記憶は、その次元で魂が叡智を獲得するために必要なものであり、そこで気付いて、認識して、受け入れ、自戒し、それらを魂に刻むこと、その一つ一つを、個人が自由に選択できる。ただ自由に選択するだけのことなんだ。自由だ。次の次元に進むためにとか、進みたいからとか、そういう条件付けすらも手放して、ただ自由な心と精神で、魂がどう在りたいかを問い続けて、そう在るために選択し続けるだけで、その結果、これからも三次元や四次元で存在することを選ぶこともできる。

僕たちは喜怒哀楽を持って生まれた。本当はもっとたくさん、陰と陽、光と闇、善と悪などの複雑な感受性を持っている。それにできる限り慈愛や善意など、最終的には光側の感情が上回るようにと思っているし、それは僕たちの日々の心がけ次第だってことも分かる。この大いなる宇宙に闇が存在する以上、僕たちはまだまだ闇側の感情を行き来することになると思う。自然と湧き起こってくる感情を押し殺すことは結果的に闇を助長することにもなる。だから、せめて本心や本音に向き合って、本当に感じたことを責任を持って発信するべきだと思う。誹謗中傷したって後味悪いだけだし、そんなことみんなもう分かってる。本心や本音で嫌な感じがしたならそう伝えて良いと思う。でも、そこにも慈愛を持って、ただ言葉で相手の心を抉るのではなくて、素の心を心から伝えるべきだし、できたら一個、改善点とか認められる点を添えていけたらと思う。みんながそうやっていけば、僕たちを取り囲む空気やあらゆる万物の放つ雰囲気のようなものは必ず変わるし、同じ発信でも快さはまったく違うと思う。それに、そうした積み重ねが魂を高めることになっていくのだから。

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