Vol.8 脚下照顧

僕たちは孤独だ。本当はとても孤独な存在なんだ。

精神的な魂と物質的な肉体は別物で、今の地球に降り立つためには目に見える必要があるから融合体として存在しているに過ぎない。僕たちはそこに宿る感情と感情から導かれる思考や行動によって、宇宙の真理に気付き、目覚め、叡智を獲得するために生まれてきた。でも、その目的は潜在意識の奥深くにあって、自分の内面を見つめて、深く、深く、掘り下げていかなければ気付くことはできない。

脚下照顧という禅語がある。他のことをあれこれ言う前に、自分の本性をよく見つめよという戒めの語なんだけど、本当にこの言葉の通りだと思う。僕たちはこれまで外側にばかりに目を向け、気を取られ過ぎてきた。もっと自分の内側にある感受性や思考、才能、自分の過不足なんかを認識して、だからこそ他とのつながりは尊いものなのだと知り、互いに尊重し合い、補い合っていかなければいけないんだ。人間は一人ではあまりにも非力だけど、慈愛や善意によって強い絆を築き、孤独で弱い存在だからこそ一人一人が自立しながら、依存ではなく、助け合っていかなければいけないし、そうすることができるように創造されているんだ。それにやっぱり本当に分かり合っている訳じゃないのに、寂しさを紛らわすように時間を共有するような上部だけの関係は、より孤独を深めるものだと思う。だから、僕はそうした関係には感情も思考も、時間も割きたくないと感じてしまう。

生まれて、さまざまな事象に触れる中で、僕たちが本当に生きる意味について知りたいと思うか思わないか、何かに気付くか気付かないか、真理に目覚めるか目覚めないか、すべては自由なんだけど、でも、何も気付かなければそれを気付かせるために強度を増した事象が繰り返されるのだとしたら、何かに気付きたいとは感じていても、その取っ掛かりとなる尻尾のようなものを掴めずにいるのだとしたら、気付く人と気付かない人の采配はどうやって決まるんだろう?すでに選定が済んでいるということなんだろうか?感情や思考を深めていくのだってそれぞれの自由だけど、人によっては途中でブレーキがかかって先に進めないでいる。その先に深く潜っていく人とそこで立ち止まってしまう人の差はどこから生まれるんだろう?

夢の中で夢を見ているような不思議な感覚だった。これは記憶?これは本当に僕の考え?これまでに見たことがあるようなないような、感じたことがあるようなないような、考えたことがあるようなないような、さまざまなことが浮かび上がっては消え、晴人は不思議な色調を感じる無の中を深く深く潜っているようだった。

そこは何かがあるようでない、足は何かに接地しているような感覚があるのに、地面さえも見当たらない、まったくの無の世界だった。そして次の瞬間、

ガラガラガラ。

そこにあるはずのない、田舎の古い家にある引き戸を開けるような音が鳴り響いて、僕は目を覚ました。

いや、目が開いたという方が正確かもしれない。そこはやっぱり夢の中なのだろうか?ベッドに横たわっている感覚があるのに、やはりそこには何もない世界だった。

ふと、視界の隅に何かの動く気配を捉えた。ハッとしてそこに意識を向けると、

「・・・・コハク?」

と思ったら、くるっと丸まった一匹の猫がいた。

でも、その雰囲気も存在感も、すべてがコハクに似ていた。
柔らかそうなふわっふわの、やや茶色がかった黒毛とグレーの縞模様、少し長毛のキジトラの猫が、薄いグレーの人懐っこそうな大きな瞳で僕を見上げている。
ぼんやりとその猫を眺めていると、遠い記憶が蘇ってきた。というよりも、その場に瞬間的に居合わせたような、とても不思議な感覚だった。僕は僕自身覚えていない、僕が生まれてまだ間もない頃の家にいて、赤ん坊の僕の傍にその猫がいた。幼い頃に僕とその猫が一緒に写っている写真を一度か二度見たことがあったような気がしたが、それは取るに足らない記憶として、僕の奥底に眠っていたのだろうか。

そんなことを思い巡らしながら眺めていると、猫は曖昧に膨張して姿を変えた。

「・・・・?!やっぱり、コハクじゃないか?」

僕は驚いて思った以上に大きな声で叫んでしまった。

「そんなに大声を出したら、僕だってびっくりするよ。」

コハクは大きな目を丸くして、無邪気ににっこりと微笑んだ。

「さあ、行こう。謎解きの冒険に。」

そう言うと、コハクは僕の手を掴んだ。
温かくて少し湿った柔らかくて小さな手のぬくもりは、自然な安心感で晴人を包み込んだ。

「君も知っている通り、過去には多くの偉人が存在した。多くの歴史は歪められて教えられているけれど、それでも、はるか昔の賢者たちの気付きや叡智によって人類が繁栄してきたことはまぎれもない事実だよね。どうして現代ではそういう賢人が現れないんだろう?」

それは僕も時々感じていた。僕たちが現代社会で恩恵に預かっている発明や技術は、ずいぶん大昔の人によるものだ。それらを元にしていろんな技術が発展しているとしても、昔ほど大きな発見はない気がする。だから、そうした発明をした人たちを偉大だと感じるけど、当時よりも文明が進化している割に更なる発見がなされないのは、とても不思議なことだと思っていた。

「疑心暗鬼の煙に巻くつもりはないんだけどね、今光側だと思っている存在が実は闇側だったなんてことも起こり得るんだ。だから目先の物事に囚われてはいけないし、現在に縛られ過ぎてもいけない。潔さの中で何が本当に大切な真実なのかを見極めなければいけない。それに本当は僕たちが現存する姿形でそこに居合わせる必要なんてないんだよ。ただ宇宙の真理とあらゆるすべての喜びや幸福がそこにあればいい。だって、これまで多くの犠牲によって少しずつ軌道修正された真っ只中に僕たちは生きていて、今は安寧幸福な世界への道程なんだからね。それは近々実現するかもしれないし、ずっと遠い未来かもしれないけど、それはそこで生きる子孫たち、そして新たな存在として降り立つ僕たちのための道となるんだ。」

"他に依存せず、自分で情報を精査して真理を見立てること。

晴人がいろいろな思いを巡らせていると、また突如、母凛子の言葉が想起された。

コハクは新たな疑問を投げかけた。

「君は多くの人々は本当は働くことを嫌がっていると思うかい?」

次の瞬間、コハクと僕はまた別のところに居合わせた。表現が難しいんだけど、無の空間のまま瞬間移動したような不思議な感覚だった。

誰だろう?どこかで見たことがあるような・・・・とにかく、僕たちはある西洋人の生涯を俯瞰していた。彼は天性の才能によって驚くほどの財と、後世にも大きく影響する権力を手にしていた。

「確かに彼はその類稀なる商才によって巨額の富を築いた。行き過ぎた強引な独占によって大きく非難されることもあった。成功者には羨望とともに妬みや嫉みも集まるし、そうした人々の感情を利用して転覆を企む勢力も必ずと言っていいほど存在する。人の感情はとても複雑だけど、この世界で富や地位や名誉が絡む時には闇側に傾いてしまうことの方が多い。まだまだ精神性が未熟で、充足感を感じられないまま、より多く、より大きく、より広く、より完璧にという人類に内在した意識がどうしても自己中心的な執着に向かってしまうんだ。そうして今度は手にしたあらゆる財を奪われる恐怖に襲われるようになる。争いや敵対心によって自分と他という境界が明らかになり、自分や自分のごく身近な人しか信じられず、いや、それだってきっと本物の信頼とは程遠いだろうけど、血を分けた存在、一族への執着、歪んだ愛情は、たとえば自分たちはますます繁栄し、ますます富むようにというような世襲制なんかがいい例で、手にした富を手放すまい、奪われまいと他に対しては残酷なエゴイストとなってしまう。もちろん、身近な人への愛だって愛には違いない。でも、これはあまりにも現生的な血のつながりへの執着であり、見返りだったり、何らかの不純なものが混じった水準の低い愛だ。」

僕は頷きながら、コハクの心地よい声にただただ耳を傾けていた。

「これは彼の生涯の一部分を切り取ったほんの一例に過ぎないんだけど、そうした闇側の意識はどんどん増幅して周りに伝播していった。実際この世界は、どこを切り取ってみてもピラミッド構造を呈している。上から下へというのを自然の摂理とした教育を受けているから、上下関係があって上から下に指示がなされたりして、上に従うのが当たり前になっている。上と下、自分たちと他というように比較や競争が生まれ、支配者が傾倒した闇側の意識によって当然、人々も闇側に傾いていくんだ。さあ、彼は単なる金稼ぎの才能や運に恵まれていただけなのだろうか?」

「人類が持ち合わせている意識について別の例を挙げてみよう。奴隷の足枷の話を知っているかい?人々は奴隷を見て、自分は奴隷ではなくて良かった、などと思ってホッとする。やがて、時代の流れや社会構造によって軍事力が人々を征服し、大勢が已む無く奴隷となった。初めのうちは奴隷となる前の種族や家系、暮らし向きなどによって、自分と他者を区別していた人たちも、やがて従前の地位や名誉を取り戻すことはできないことを知り、奴隷である境遇に慣れてしまう。すると今度は奴隷という境遇の中で差異を見つけて自分と他者を区別し始める。奴隷に与えられているものが足枷だけであれば、その足枷の鎖や鉄球を比べてわずかな差異を見つけては自慢したりする。挙句、足枷のない人間を嘲笑ったりもする。奴隷をつなぐ足枷は本当はどれも同じで、奴隷はどこまでも奴隷に過ぎないのに。」

「君たちが知っている大昔の奴隷のイメージとは異なっていても、現代の社会構造では、大半の人々が実質的に奴隷であることを心の中では誰も否定できないだろうね。現代版の奴隷たちは外見とか物質的な持ち物とか、そういう外側ばかりに囚われて一生懸命比較競争し合っている。でも、冷静に俯瞰してみれば、誰もが物質主義で拝金主義で、他を思いやることも顧みることもなくどうやって人より抜きん出るかばかり考えていて、実は大した違いはないんだ。でも、こうした意識や価値観や概念の広がりのもっとずっと奥深くでは、緻密で邪悪で到底人間の仕業とは思えない想像を絶する残忍な謀略が存在しているんだよ。」

「もう少し別の視点でも考えてみよう。思想や宗教、精神性を説く学問などは、元々すべて同じ存在を崇めているものなんだ。それを、それぞれに何か独自の個性を持たせてグループやコミュニティを作り、他のグループやコミュニティと区別する。区別は比較や競争を生み出す。そうした本来一人一人の内面の崇高な部分にある信仰心までも金儲けの道具に利用されるようになったんだ。国家という区別に人種や宗教を組み合わせて争いを正当化し、大勢の人々をけしかけて戦わせる。真実に目を凝らして見ることができるようになれば、それがどれほど愚かなことであるかに気付くことができる。でも多くの人は、自分に火の粉が降り掛からなければ、まるで遠い世界のおとぎ話であるかのように、そうした事象をまったく他人事として捉えている。自分事として感じ取ったり考えたりしないから、大勢が犠牲になっていてもそこから何も気付こうとも学ぼうともしない。だから争いや奪い合いはいつまでも繰り返されているんだよ。本当は個人の多少の解釈の違いがあるだけのことで、わざわざそれを差異として際立たせる必要なんてまったくない。すべてはつながり、宗教だってすべては同じ存在を拠り所としているに過ぎない。まあ、信仰心などまるでなくて、ただただ己の私腹を肥やすためだけに人々の崇高なそれを利用しているような連中は論外だけどね。」

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