どうして学校に行かないといけないの?小1男子の疑問から

急に寒くなりました。今日明日の横浜市の最高気温は22度。週末の3連休にはまた27~29度まで上がるそうです。今日はニットを羽織っていますが、明後日にはTシャツで過ごすことになりそうです。

 

さてさて、いきなり何だか不穏?なタイトルですが、小4の三男が最近いよいよ不登校気味です。1〜2年生の頃から時折「学校行きたくない。」とか「何で学校行かないといけないんだ。」と言うことがありました。

 

本人や担任の先生などにいろいろ話しを聞き取ってみると、特にイジメなどもなく、学校に行ったら行ったで楽しく過ごしている様子。授業参観に行った時も元気に過ごしていて友達も多く、親が言うと変ですが、声が大きくて挙手や発言も多く、面倒見も良く、友達をかばったり、本当はやりたかった役員や委員会でじゃんけんで勝っても、結局友達に譲って、いつまでも決まらない人気のない委員会を引き受けたりしたこともあったそうです。

 

3人兄弟の中では一番頭が良いというか、目ざとく耳ざとく、根は真面目だけど頑固で負けず嫌いな子です。

 

少し前に学校に行きたくないと言った時の理由は「宿題」でした。「なんで行きたくない学校に行って勉強してんのに、さらに宿題までしないといけないんだ!」と荒れて一時期宿題をせずに学校に行っていました。当然、学校では宿題をしてこなかったことを注意されて、休み時間にやらされていたようです。それが続くと先生から私に電話がかかってきます。

 

「最近、宿題の提出ができていないんですけど、家ではどんなご様子ですか?」と・・・

 

私も仕事や残業で帰宅が19時を過ぎることが多く、帰ったらまず「宿題やった?」と声かけはしていました。「やってない。」と言うので、「じゃあ今から一緒にやろう!」と言って、台所のテーブルで宿題しているのを見ながら夕食の支度をしていました。調子が良い時はそんな感じで無事に(?)済みます。取り組みだせば集中してやるのでそんなに時間もかからずに終わってしまいます。

 

 

でも、調子(機嫌)が悪くて、声かけしてもまったくやらないで、「うるさい。しね。」とか言う日も多くありました。担任の先生との話しでどうしても難しい場合は、学校に早めに行ってやるとか、休み時間にやることになっていました。

 

 

でもどうしても、いよいよ嫌になってしまったんでしょうね。「なんで学校に行かないといけないのか?」「どうして宿題をしないといけないのか?」という根本が解決しておらず納得していない訳だから、そういう状態で頑張り続けることは、大人でも困難なことです。

 

 

ここまで読まれて、「親バカだ。」とか「しつけがなっていない。」とか、「片親だから。」とか思われた方も多いかもしれません。でも、私自身は小学校・中学校・高校・大学と、そもそも「なんで行かないといけないの?」という疑問を持ったことがなく、長男と次男も、そりゃたまには学校行きたくない、ダリィーとか言うことはあっても、何となく『行くのが当たり前』みたいな感じがあって行っているだけだと思うんです。

 

改めて「なんで学校行かないといけないの?」と聞かれて、私に浮かんだ答えは…

①義務教育と国で決まっているから

②小中学校で学ぶことは大人になっても役立つ必要なことだから

③友達と楽しい思い出ができるから   等々

 

でしたが、①はともかく、②と③は別に

『必ず絶対学校に行かないとできないことではない』

 

と思ってしまったわけです。ダメ親・毒親ですかね?今の時代、国の決めた箱に押し込めて、みんながみんな同じように成長するようにとか、枠からはみ出た子は周りから異色の目で見られるとか、そういう小中学校時代を過ごしたとしても、社会に出てみたらあまり当たり前なことがない世の中ですよね。えっ、そんなのもアリなの?ってことが結構あります。

 

私の世代では、到底信じられないこととか常識外れなことだけど、子どもたちが大人になって暮らす社会では、それが常識ではなくなっているかもしれない。私たちだってこの歳になって、「実は小学校の時から不登校だったのよ。」とか周りでカミングアウトする人がいたとしても、その人が今ちゃんと挨拶とかコミュニケーションがある程度できて、人に迷惑かけずに普通に生きられていれば、「へー、そうだったんだ。」で終わりですよね。

 

なんかわが子が「学校に行きたくない。」なんて言うなんて…とか、「なんで学校に行かないといけないの?」なんて何でそんな当たり前のことを疑問に思うの?とか、思い悩んだり自分を責めたり、怒り狂って怒鳴ったり、いろいろ調べたり考えたりしてきましたが、泣いて、お腹が痛くなって下痢して、「学校行くぐらいなら死んだ方がマシだ。」とか言われて、そこまでして本当に行かないと(行かせないと)いけないのだろうか?と私自身も考えるようになりました。

 

 

は?イジメとかでもないのになんで?甘やかしすぎって思われる方もいるかもしれません。でもいろいろな情報を知る中で、今の世の中では別の選択肢もあるのかな?と今では少しずつ考えが変わってきています。

 

 

調べる人の気持ち次第で、得られる情報は大きく変わります。今回のテーマの『不登校』であれば、最初にヒットする情報はだいたい、「不登校になる子どもの特徴」とか「不登校の子どもを学校に行かせるには」とか「不登校になった子の家庭環境」とかそういうのです。『どうしたら学校に行かせられるのか?』というのが唯一の答えで、不登校は完全に悪です。周りの目とか評価ばかりを気にしている間はこういう情報しか目に留まりません。

 

 

それからさらに検索を続けていくと、だんだん別の解決策とか打開案にも目が行くようになります。フリースクールとか、不登校だったけど何かを成し遂げた人にたどり着いたりします。当事者にならないと見えない知り得ないことが本当にたくさんあります。いろんな人がいて、いろんなことが起きるご時世ですから。人と違う経験から得る学びも当然あり、そういう人が人と違う視点で良くも悪くもいろいろなことを成し得ていくものです。普通に育って普通に生きている人だって、ある日突然犯罪者になったりするんです。

 

「母もきょうだい4人も私も不登校」 17歳少女が伝えたいこと

確かに、学校ってスケジュールとかカリキュラム優先ですよね。。。他にも、子どもが不登校の状態にならなければ知らなかった世界がたくさんありました。

 

AI-am「小・中・高に通わず現役で大学に行った話と・・・」

「学校に合わない人がいるのは当たり前」不登校10年の経験者が示す「学校に行かない生き方」

ドイツで不登校問題はタブー?

 

ここまでお読みいただき、ありがとうございました。最後に、先日お亡くなりになった私の大好きな樹木希林さんの、不登校新聞のインタビュー記事がとても心に沁みましたので、引用させていただきたいと思います。この記事だけでなく、テレビで仰られていた言葉や話しもいくつも心に残っています。そちらはまた改めて丁寧な記事にしたいと思います。

 

 

石井志昂(以下・石井):今日はありがとうございます。まずは一番気になっていることからお聞きします。なぜ『不登校新聞』に出ていただけるんですか?

樹木希林(以下・樹木):いやあ~、こんな新聞があるんだな、と。私も年を取りましたけど、まったく知りませんでしたから。最近はほとんど取材を受けてないんですが、ぜひ新聞をつくっている人に会えたらと思ったんです。ただ、読んでみたらなんてことはない、私もその傾向があったなと思います。小さいころからほとんどしゃべらず、じーっと人影から他人を見ている、自閉傾向の強い子でした。当時は発達障害なんて言葉はなかったけど、近かったと思います。

石井:私が取材したいと思ったのは、映画『神宮希林』のなかで、夫・内田裕也さんについて「ああいう御しがたい存在は自分を映す鏡になる」と話していたからなんです。これは不登校にも通じる話だな、と。

樹木:あの話はお釈迦さんがそう言ってたんです。お釈迦さんの弟子でダイバダッタという人がいます。でも、この人がお釈迦さんの邪魔ばっかりする、というか、お釈迦さんの命さえ狙ったりする。お釈迦さんもこれにはそうとう悩んだらしいですが、ある日、「ダイバダッタは自分が悟りを得るために難を与えてくれる存在なんだ」と悟るんです。

私は「なんで夫と別れないの」とよく聞かれますが、私にとってはありがたい存在です。ありがたいというのは漢字で書くと「有難い」、難が有る、と書きます。人がなぜ生まれたかと言えば、いろんな難を受けながら成熟していくためなんじゃないでしょうか。

今日、みなさんから話を聞きたいと思っていただけたのは、私がたくさんのダイバダッタに出会ってきたからだと思います。もちろん私自身がダイバダッタだったときもあります。ダイバダッタに出会う、あるいは自分がそうなってしまう、そういう難の多い人生を卑屈になるのではなく受けとめ方を変える。自分にとって具体的に不本意なことをしてくる存在を師として先生として受けとめる。

受けとめ方を変えることで、すばらしいものに見えてくるんじゃないでしょうか。

石井:そう思うきっかけはなにかあったのでしょうか?

樹木:やっぱりがんになったのは大きかった気がします。ただ、この年になると、がんだけじゃなくていろんな病気にかかりますし、不自由になります。腰が重くなって、目がかすんで針に糸も通らなくなっていく。でもね、それでいいの。こうやって人間は自分の不自由さに仕えて成熟していくんです。

若くても不自由なことはたくさんあると思います。それは自分のことだけではなく、他人だったり、ときにはわが子だったりもします。でも、その不自由さを何とかしようとするんじゃなくて、不自由なまま、おもしろがっていく。それが大事なんじゃないかと思うんです。

石井:なるほど、それでは樹木さんがどんな子ども時代を送ったのかを、お聞きしてもいいでしょうか?

樹木:私が生まれたのは昭和18年1月15日、戦争の真っ最中でした。生まれたのは神田の神保町。母親はカフェをやっていて、父親は兵隊にとられていました。何度も住む場所を変えながら暮らしたそうです。記憶に残っているのは、青梅街道のバラック街。見渡すかぎりのバラックのなかで、幼少期をすごしました。私が4歳ごろのある日、中2階の布団置き場で遊んでいたんです。

そしたら、そこから落っこちてしまったんです。打ち所が悪かったんでしょうね、それからというもの毎晩おねしょをするようになりました。たしか10歳ごろぐらいまでは続きました。だから、私の家では毎朝、布団を干していたし、友だちの家に泊まりに行くときはビニール持参(笑)。

それ以外で記憶にあるのは、いつも友だちがいなかったこと、一人で遊んでいたこと、幼稚園に通うのがイヤだったこと、スポーツが苦手だったこと、人とはほとんどしゃべらなかったこと。しゃべらないのは近所でも評判でね。私がテレビに出始めたとき、まわりはだいぶ騒いだそうです。ほとんど声を聴いたことがないのにって(笑)。

今ふり返ってみるとポイントだったと思うのが、小学6年生の水泳大会のとき。小学校6年生となれば、背泳ぎだ、クロールだ、とみんなすごいでしょ。私はからっきしダメ。なので水泳大会の「歩き競争」に出されたんです。プールのなかを歩いて向こう岸まで競争するレース。つまり、泳げない子たちの特別な競走で、私以外は小学校1年生~2年生ぐらいのレースでした。

歩き競争が「よーい、ドン」で始まると、小っちゃい子たちがワチャワチャやってるなか、私だけすぐゴール。断トツの一等賞よ、なんせ身体が天と地ほどもちがうんだから(笑)。でもね、表彰式で私ニンマリ笑ったらしいの。私も誇らしかったのを覚えています。これが私の財産なんです。まわりと自分を比べて恥ずかしいだなんて思わない。おねしょだって恥ずかしいとは思ってなかった。こういう価値観を持てたのはありがたかった。勝因とさえ言ってもいい。これはもう親の教育に尽きますね。親がえらかった。

思い返せば、うちの両親はとにかく叱らない親でした。「それはちがうでしょ」と言われた記憶がない。記憶にあるのは「あんたはたいしたもんだよ」と言われたこと。子どもってヘンなことを言うでしょ、ヘンなこともやるでしょ、それをいつも「たいしたもんだよ」と両親は笑ってる(笑)。子どもを見ているヒマのない時代でしたが、ふり返ってみれば、それでもえらかったなと思うんです。

石井:私の祖母も「誰かと自分を比べるような、はしたないことはダメ」と言ってましたが、その一言は、不登校だった私を支えてくれました。

樹木:そう、そういうことを昔の女性は言えたの、ホントに立派だわ。こう言っては悪いけど、そこらへんのおばあさんでしょ。お坊さんでもなんでもない、ただのおばあさんが「比べるなんてはしたない」と言えるんだもの。

石井:樹木さんが親になられてからも「叱らない」というのは気をつけていましたか?

樹木:干渉はしなかったです。気にしていたのは食べることだけ。どんなにまずくても、そこらへんのものでは間に合わせず、自分たちでご飯を出していました。でも、それだけですね。

石井:お孫さんがいらっしゃるんですよね?

樹木:しょっちゅう迷惑をかける孫がいるんですよ。よく親のほうが鍛えられてます(笑)。

まあ娘にも言ってるのが、「そのうち、ちゃんと自分で挫折するよ」って。まわりはやきもきするけど、あれもこれも親が手を出してあとから「たいへんだったんだから」と言うよりは、本人に任せていくほうがいい、と。

子ども若者編集部メンバー:話は変わりますが、私は人間関係で難しいな、と思うことがよくあります。どうすればいいのでしょう?

樹木:それはへんなかたちで自分を大切にしているからでしょうね。これも親の教育の賜物で、私は自分の評価にこだわらなかったから、本当に自分をぞんざいに扱ってきました。というか、人と揉めるのがへっちゃらなの。たとえば人から贈り物をいただく。でも、だいたいの贈り物って始末に困っちゃう。だから、贈り物に「いりません」って書いて送り返したりしているんだから(笑)。

子ども若者編集部メンバー:すごい(笑)

樹木:どうぞご放念くださいってやつよ。まあ、そのせいでだいぶ苦労してきましたけどね。一度、女優・杉村春子さんに収録現場で「へったなの」って言ったこともあったから。

一同:ええっ!!

樹木:映画監督・小津安二郎さんの映画だったんだけど、何度もNGが出るから、「なんだよ」って思っちゃたのよ。まあ、そういうように人とぶつかるのが苦じゃなかったの。小さいころから変わっていて、若いころもそんなんだから「なんだか生きづらいな」と思っていましたが、楽は楽よ。ガマンとか辛抱とか、そういう記憶がないんだもの。

あなたも、自分をよく見せようとか、世間様におもねらなければ楽になるんじゃないでしょうか。だいたい他人様からよく思われても、他人様はなんにもしてくれないし(笑)。

子ども若者編集部メンバー:僕は小学校6年生で不登校をして5年間、ひきこもっていました。自分が不登校だったことを、なにか活かせないかと考えているんですが、どれもこれもうまくいかないんですね。

樹木:計画性があるから挫折するんでしょうね。夢を持つのは大事なことなんだけど、そこに到達できなかったからって挫折するのはバカバカしいことじゃない。方向を変えればいいの。もし、どうしようかと迷ったら、自分にとって楽なほうに道を変えればいいんじゃないかしら。

子ども若者編集部メンバー:ただ、この前も成人式に行ったら、友人は大学に行ったり、働いていたり。どうしても自分とまわりを比べてしまうというか……。

樹木:わかる。私もデパートガールを始めた同級生がものすごく輝かしく見えていたから(笑)。私が18歳のとき、行くところがなくて劇団「文学座」に入ったんです。今もそうだけど劇団員なんて先が見えない仕事でしょ。まわりが銀行員になったり、大学に行ったりする。花が開くと思われた4月に自分はなにもない。おまけにまわりの劇団員はみんなキレイ。「取り残された」っていう実感はそりゃあもうリアルでしたよ。

でも、いま考えればバッカみたいだけど(笑)。

この地球上にはおびただしい数の人間がいます。人間として幸せなのは適職に出会うことです。自分がこれだと思うことに仕えられるほど幸せなことはありません。もちろん、たくさんのお金を儲けたから適職ってことじゃないし、仕えるのは会社ともかぎりません。そういう、「これだ」と思える適職に出会えた人は一握りしかいないんです。つくづく私も「芸能界には向いてないな」って思うんです。まあ、もうこの年になったら向くも向かないもないんだけどね(笑)。

だから、あきらめるしかないんだけど……って、あなたの質問にちゃんと答えているかしら?

子ども若者編集部メンバー:たしかに大学に行った友だちが「あんまり楽しくないぞ」と言ってました。

樹木:そういうもんなの。あなた、このなかで一番ハンサムだから。別に好きでその顔に生まれたわけじゃないと思うけど、その顔で生まれなかった人からすればうらやましいはずよ。その顔を活かすのに命を懸けたっていいじゃない。

私は、よく思うんだけど、誰だってチャーミングなところがあるのに、ほとんどの人がそれにふたをしちゃってるんです。たとえば、俳優の小林亜星さんっているでしょ。ドラマ『寺内貫太郎一家』(74年放送)を始めたとき、私たちが主役は小林亜星さんがいいって言ったのよ。亜星さんなんて太ってるぐらいしか取り柄のない人でしょ。

一同 いやいやいや(苦笑)

樹木:あの人はホントに太っている人のよさをすごくわかっている。所作がちがう。ああいうのが大事なの。今や、女優もアナウンサーも、最近じゃスポーツ選手もみんな同じ顔だからね。同じような顔に同じような服を来て、それで若い女優さんは「役が来ない」ってこぼすんだから、もうこっちはケンカ腰よ(笑)。

石井:最後に自分の子どもが不登校やひきこもりだったら、つまり、御しがたいダイバダッタのように見えたら、親としてどう向き合えがいいのかについて教えてください。

樹木:うん……、きっと自分だけが助かる位置にいちゃダメなんだろうと思います。自分も降りていかないと。夫は「不良になるのも勇気がいる」と言ってましたが、道を外すのも覚悟がいることです。親も子も今の環境や状況を選んだわけじゃないだろうし、そうならざるを得なかったのかもしれません。でも、それはそれで親子ともどもいっしょにやっていこう、と。路上でもいっしょに生活しようという覚悟を私ならすると思うんです。いっしょに住んでいる人はホントにたいへんだと思いますが、結局、親はその子の苦しみに寄り添うしかないです。言って治るようならとっくに治っています。最初の話に戻りますが、自分が成熟するための存在なんだと受け取り方を変えるのがいいのではないでしょうか。

石井:なるほど

樹木:最後になっちゃったけど、この新聞はたいへんなお仕事だと思いますが、かならず救われる人がいると思いますし、ぜひがんばってください。もちろん自分にとってもいい出会いができると思います。今日はどうもありがとうございました。

一同:こちらこそ、本当にありがとうございました。

 

引用:AERA dot.より 不登校新聞 連載「ぶらり不登校」2014年12月15日掲載

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