Vol.7 実事求是

トライブでの生活、右京や琉雅の語りや、ナユタやマナスとの対話の中で、晴人は少しずつ凛子の話しを鮮明に思い出していた。

晴人が六年生になって少し経った頃から、凛子は時折、まるで別人のように話すようになった。話す内容も、話し方も、雰囲気も、まるで違っていた。

当時、晴人はほんの少し怖く感じることもあったが、不思議とそれほど嫌ではなかった。
大抵の話しは晴人には難しくて理解できず、翌日にはほとんど頭に残っていなかった。
凛子は、自分の伝える力のなさを嘆いていた。時々少し苛立った様子も見られた。
それでも、何とかして晴人が理解できるように、さまざまな例を交えながら語り続けた。

僕たちは幼少期から、要不要に関係なくデータの暗記を習慣づけられる。今の時代、少し調べれば分かるようなことを頭に詰め込む。社会に出るまでにどれだけのデータ入力を済ませることができたかによって優劣がつけられる。社会に出てからはどれだけ多くのデータを持っているか、持っているように見せるか、その駆け引きのようなものが繰り広げられている。学生時代に学ぶことの面白さを知ることはなく、大人になれば生活に追われ、金や時間に追われる中で、稼ぎに繋がるのでなければ誰も学び深めようとはしない。そして、試験範囲もカリキュラムもない社会で、人々は歳を追うごとに未知への遭遇を恐れ、年々新しいものへの拒絶反応が大きくなる。社会的な地位が高ければ高いほど、『知らない』ことを知られることを恐れるようになる。ある程度金があればそれなりに生きられるし、権力や影響力によってどうにでもなるという社会の仕組みを知ってしまうと、もう誰も真理を深く追求しようとは思わない。金、地位、名誉、家、車、外食、旅行、ショッピング・・・・自分や自分の家族がある程度の生活ができれば十分で、余計なことに首を突っ込んであれこれ考えたり行動したりして、今の境遇を脅かすような真似は決してしない。

特に日本では一方的で偏ったデータを刷り込むシステムが構築されていて、学校教育だけでなく、多くの子どもが高い月謝を払って塾に通ってまで将来の役に立たないデータを詰め込んでいる。無理矢理頭に詰め込むだけの『勉強』によって、多くの人が『学ぶ』楽しさを知らないまま大人になる。利権に塗れた構造はそこかしこに蔓延り、次から次へとバラエティ豊かな娯楽が送り込まれてくる中で、学校を卒業したら研究の道に進むような人以外誰も、頭を使ってわざわざ気難しい真理や、簡単に認められそうにない事象を探究しようなどとは思わない。人生は短いし、自由に使える時間はあまりにも少ない。

権力者たちは自然を破壊しながら質の悪い、体に害を及ぼすような食品、たばこ、酒、武器、車、化学物質、建築、道路、医薬品、原子力などありとあらゆるものを大勢の人が必要とするように仕向け、過剰に生産しては人々に消費させ、飲食物や空気、水など身近で人間が生きるために必要不可欠なものに心身を蝕む有害物を混ぜ込んで生命を危険に晒し、病気や不便な状況に追いやり、今度はそれらの対処法を売りつける。権力者はあらゆる小細工によって人々からお金をぶん取ってより多くの富と強い権力を手に入れ、そうした権力と金によって、今度は政治を操り、懐柔された政治家までもが蓄財している。国民の暮らしをより豊かなものとするべき人たちが、私腹を肥やし、司法も立法も掌握している彼らに恐れるものはなく、人々を無視した国民不在の暴政が行なわれている。

人間は一度楽な道に堕落すると、そこから這い上がるのはとても難しい。
支配者にとって都合良く扱える駒となるように有名人や政治家はスキャンダルや弱みもたくさん握られている。だから、不祥事のニュースは後を立たないし、そういう報道は堕落から抜け出そうとする者への見せしめにもなり、ただ垂れ流されるだけのニュースに人々は失望させられる。

メディアが垂れ流す情報も、権力者や政治家の圧力によって統制されているのだ。なぜなら、あらゆる報道機関はすべて支配者や権力者の所有物だからだ。だから、権力者にとって都合の良い情報しか報道されない。どれほど人々のためになる大発見であっても、彼らにとって不都合な真実はもみ消し、どれだけ姑息な手を使ってでも葬り去ろうとする。みんなに知られては困るようなことは、上辺だけを取り繕った明らかに分かるような大嘘をでっち上げ、権力や影響力、メディアなどあらゆる方面を金で操り、大声で騒ぎ立てて、その背後で押し通したりもする。明らかな大嘘だって、支配者や権力者たちへの忖度によって現実として扱われているんだ。

幼少期はもっとも身近な存在である親の世界観がすべてだ。子どもは社会という未知の世界を現実に生きている親の姿を通して生きる術を学ぶ。多くの子どもが親や学校、大人、周りの人たちの大半が同じように生きているのを見て、それが正しいのだと信じ込む。こうした社会で生き延びられているという現実を目の当たりにして、親や大多数の判断を正しいと信じる習慣が身についてしまう。親がテレビやメディアを盲信していれば、子もそれに倣うようになる。

データの蓄積という悪習によって、人々は科学的な根拠がなければ信じることができなくなった。個人レベルで発信できるさまざまな媒体の出現によって、データはいくらでも改竄できるし、簡単に塗り替えることも、切り取ることができることもこれだけ明らかになっていても、歳を取れば取るほどこれまで身につけた常識を手放すことができない。このような状況を作り出すために、権力者たちは何十年もかけて周到に、真理を覆い隠しながら虚構の実績を積み上げてきたのだ。

大人たちの懐柔が済んだら、今度は子どもの番なのだ。教育や有毒な飲食物、インターネットなどによって子どもたちの自由で純真無垢な心に入り込み、心身を蝕んでいく。増税や物価高による生活苦、疫病、陽動作戦、権力者による右左極論や情報過多による疑心暗鬼など、生活に逼迫するようなさまざまな状況によって人々の一切の余裕を奪い、親や大人の目が子どもに行き届かないような社会を作り出す。行き場を失った子どもたちはSNSやネット上でつながりを見つけ出す。

正常な識別力が養われていない状態では、運が悪ければ、表向きの体裁を整えつつ裏では道理から外れた反社会的な組織などにつながってしまう。子どもたちは危険に晒されている。

親は、自分たちの子どもへの影響を過小評価し過ぎているし、国や権力をあまりにも盲信し過ぎている。

というよりも、新たなことや真理を追求する時間もないし、関心もない。生きることに精一杯な社会で、これ以上気難しいことに煩わされたくないし、権力者たちの作り出した社会の毒に侵されて、自分や自分の身の回りの狭い範囲のことにしか気が回らないし、あとのことはどうでも良いと思っている。そういう人たちで溢れていけば、地球は破滅への一途を辿ることになる。

守れるのは目覚めた大人たちだけだ。しかもごく少数の・・・・

それに、権力の衣を着てそういう人間のフリをする連中がいることを忘れてはならない。闇は根深く広がっている。本当に大勢の大人が眠ったままで、権力者の意のままに操られている。心の声に耳を傾け、識別する目を養っていかなければならない。

「え?それじゃあ、もう僕らに勝ち目なんてないんじゃ・・・・」

晴人は、思い巡らし、記憶の中の自分や何かと対話しながら文字通り目の前が真っ暗になったような気がした。

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