Vol.11 知足按分

お金を追い求めることが必ずしも悪いのではない。

「つまり、人類や国が発展するためにはたくさんの人間が必要で、人類といっても自分の主義主張を持たず都合良く隷属する存在が必要で、支配者に異を唱えたり好まない行動を取る人は排除しようとしているってことだよね。」

昼食の席でマナスが話し始めた。

「どこの誰が世界を牛耳っているのか?なんて、私たちに突き止めることはできないわ。ただ、多くの人々がこの世界に幻滅し、不幸に追い込まれていることは事実よ。詳しいことなんて分からなくても、心の声に耳を傾ければ明らかに世界が間違った方向に進んでいることが感じ取れるはずだし、か弱くて守られるべき幼い子どもたちが犠牲になっていることは絶対に許せない。一刻も早く、多くの人が目覚めて精神性を高めないと本当に取り返しがつかなくなるわよ。」

ナユタは怒りを露わにして言った。

「確かに、世の中の事件や事故は度を越して悲惨の一途を辿っている。闇側はよっぽど焦っているのかその手口もあからさまだし、不条理なまま無理矢理押し切ろうとする動きも見える。僕たちから見たら何の信憑性もない、出鱈目のようなグラフやデータをそれっぽく見せてワクチンや汚染水、有害な薬物や農薬などあらゆる毒物を人々に摂取させようとしたり、明らかに作為的に見える事件や事故を自然災害だ陰謀論だと言って、人々の目を逸らすような出来事を引き起こして連日報道したりしている。人身売買、児童性的あるいは労働的虐待など、世界では信じられないような出来事が起きているけど、そういった本当に闇深い真実から目を逸らすために芸能やスポーツ、一切進展のない汚職のニュースを垂れ流し続けている。どれにしたって僕たちが真実を確かめるのは容易じゃない。でも、忙しい日々に追われて世情を読み解く時間も感受力も思考力も失いつつある人々の中には、こうしたニュースが短くまとめられた見出しを読んで、どこか遠い別世界の出来事のように捉えている人も多い。目に見えるものや形あるものしか信じられず、感じ取れなくなった人々にとって目の前の日常こそがすべてで、目に見えないものや心の声、直感や霊感なんてまるで感じ取れなくなっている。一瞬何かを感じたとしてもすぐにかき消されて、社会的に認められているものだけを信じ込んでいる。」

晴人が応じると、さらにマナスが続けた。

「各種メディアもグローバルなつながりを報道しているし、インターネットの普及によって、誰もがいつでもどこでも世界のあらゆる情報にアクセスできるのだと思い込んでいる。映像技術の発達が目覚ましいことは明らかなのに、それがたとえどこかのスタジオで撮影され、方々に手を尽くして作り込まれたような情報だったとしても、それなりに体裁が整っていればみんな簡単に信じ込んでしまう。映像は目に見えるものではあるけれど、それが事実かどうかはいちいちその場を訪れない限り確かめようがない。ましてや、そうしたニュースを流している連中はお金や権力で密接につながった支配者やそれに付随する者たちで、事実を報道するジャーナリズムの使命感は失われ、罰則があるとしても裏でズブズブの関係なんだからいくらでも揉み消せてしまう。支配者はこんな風にして金や権力でとても大掛かりな、人々を恐怖や不安、混沌に陥れる仕組みを作り上げたんだよ。」

「次の段階で支配者は『陰謀論』や『アンチ』を仕立て上げた。人々の自由な発信や思想、選ぶ権利を知らしめるべく。でもこれも選ぶ自由があるように見せかけて、こうでなければこうと、実質的には想定内の選択肢を用意しているに過ぎないんだ。人々がどちらを選ぼうとも最終的に支配者に利権が転がり込むようになっている。たとえば戦争がいい例だよ。双方をけしかけて戦争を起こさせ、双方に武器を売ったりお金を貸付ける。どちらが勝とうが負けようが、戦争が続く限り彼らは大儲けだ。だからいつまでも戦争は終わらない。いや、これだって実際のところは分からないけどね。」

「全体を俯瞰して見れば、支配者とその利権に群がる者、それらに懐柔されて搾取される者、そうした構図に気付いて何とか軌道修正しようとしている者、気付いたところでどうしようもないと諦めて社会に流されて生きる者がいる。でもそのバランスは刻々と変化しているように感じられる。だからこそ、彼らは焦り、手段を選んでいられなくなっているんだ。彼らには人々を不安や恐怖で煽り続けなければいけない何かがある。何かとは、人々がこうした仕組みに気付いて、目覚めないようにすることなんだ。でも、寄せては返す波のように、大きな闇には大きな光が訪れる。闇が思っている以上に光は輝きを増していて、だから、彼らの焦りによって巧妙さを欠いたあからさまな手口から、さまざまなことが明るみに出てきた。今まさに大勢が気付いて目覚めるチャンスなんだよ。」

このように、マナスは次から次へと理知的に、やや興奮気味に話しを綴っていった。

「いやー、私は正直、面倒臭いな。」

ダイニングで何度か顔を合わせるうちに親しくなった藍田望芽が言った。藍田望芽は車の騒音や四六時中街を明るく照らすネオンが、人々を富への飽くなき追求に追い立て、自然の囁きや星の煌きを覆い隠す都会の暮らしに辟易としていた。ある日夜空をぼんやりと眺めていると、そうした喧騒から解放された魂が、まるで逆流れ星のように嬉しそうに天に昇っていくのが見えた。何故か分からないが望芽はそのように感じたのだった。その日から望芽は社会の束縛から解き放たれた世界を模索し始めた。そこに行くためには死ぬしかないのだろうか?どうしてお金や権力が支配する一方的な価値観に縛られなければならないのか?別の価値観で、たとえば、互いの純粋な意思で動く社会、誰もが持っているそれぞれの才能を活かして助け合い、慈愛や善意によって分かち合い、支配者などは存在せず、みんなで創り上げていく社会があっても良いのでは?そのようなことを考え続けているうちに仄かな灯りに導かれるようにこのトライブに辿り着いたのだった。

「ほとんどの人は精神的なものに目覚めるとか目覚めないとか、霊性を感じるとか感じないとか、見たいとか見たくないっていう次元には至っていない。物質主義とか拝金主義とか、現代社会の大勢の人々と馴染んでいたいとかっていうんでもない。目の前の『現実』に追われて本当にそれどころじゃないんだよ。まあ、確かに、手段を選んでいられなくなった支配者によってそう仕向けられているのは事実だろうね。私は目に見えない世界のつながりがあることは確信しているよ。ただ、それを理解できるかできないか分からない連中に、もうこれ以上いちいち説明をしたくないんだよ。押し付けとかオカルトとか、陰謀論だとか、いろんなレッテルを貼られるのもうんざりだしね。結局解る人には分かるだろうし、解らない人には分からない。それだけのことじゃない?みんな自由なんだよ。信じるのも信じないのも、感じるのも感じないのも、どんな結末に辿り着こうとも、ね。」

「ただ、正直に言うと、突き詰めていけばいくほど、どっちが善でどっちが悪か分からなくなる。支配者だって、生まれたばかりの赤ん坊の時から世界を支配しようとしていたって訳じゃないだろ?まあ、分かんないけど。でも、生まれ持った凹凸と境遇とか社会情勢ってものが組み合わさった結果なんだよ。すべては結果。何度もの生涯の中で、誰もが人類の行き過ぎた強欲や科学による廃退を見てきたって言ったって、それによって飢えや苦しみを味わった者もいるけど、それでも真理に目覚めて叡智を獲得するまでには至っていないからこうした歴史が繰り返されている。人が生きるためには食糧が必要で、だから食糧を生業にする人たちが現れた。病気や不調に苦しむ人を何とかしたいと思って医療が生まれた。初めは薬草とか祈りとか手当てとか、まだ金なんてなかった頃にね。経緯はさまざまだけど、突き詰めれば最初は人の慈愛や善意から生まれたはずなんだ。しかし、次第に人口が増えてくると、必要な食糧や資源も大量になった。多種多様な凹凸を持った人々の中には、やっぱりさまざまな感情や思考が生まれてくる。このままいけばいずれ食糧も資源も底をついて人々は全滅するかもしれない、もっと効率良く、合理的に生産する手立てはないかと思案する者も当然出てくる。そうして発展した科学によって農薬や合成薬なんかが生まれ、食糧が量的に賄えるようになり、病に倒れる人が減って寿命が伸びると、人口はさらに飛躍的に増えていった。さらに多くの人々の複雑な感情や思考が絡み合い、さまざまな産業が発展し、衰退し、簡便さが増して、人々は怠惰になった。だって大昔は本当に食べるだけで精一杯だったのが、今は家や車や服や電気、ガス、水道、税金、電話、インターネット、本、ゲーム、漫画、映画、あらゆるものが溢れ返り、それらすべてが金を介在して流通している。周りの目を気にして、あるいは執着だったり、とにかく一度手に入れたものを手放すことができなくて、それで食べるのに精一杯な世の中になっている。同じ精一杯でも中身はまったく違う。シンプルに生まれて、生きて、死ぬことができない世界になったんだよ。本当はたとえば、植物を育てたりして自分で食糧を調達して、土地だって本当は元々誰のものでもないんだから、みんなで仲良く分け合って暮らせばいい。医療だって、余計なものを体に入れずにゆっくり養生すれば治るものがほとんどなのに、そうやって病人がいなくなれば病院は立ち行かなくなる訳だから、定期受診だ健康診断だ何だって病院に通わせて、薬だ手術だ検査だって、人工的な薬物を摂取させ続け、レントゲンやら血液検査やら心電図、超音波やガン健診、MRI、人間ドックといつまでも終わりがない。すべてが今ある執着を手放せないために引っ込みがつかなくなっているんだ。これを一見地味で原始的でも、互いに助け合い、分け合い、慈愛や善意によって協力し合う豊かな世界に戻すには?究極的には、宇宙の真理に目覚めて執着を手放す者とそうでない者との分断は避けられないんじゃないかな。そうでない者たちはそのまま破滅の道を辿って歴史を繰り返していくしかないんだよ。」

「それに、思い病むことで何か現実が変えられるなら良いけど、そうじゃないよね?むしろ、闇の感情を増幅するだけだ。心はどんどん恐怖や不安に埋め尽くされてしまう。闇に呑み込まれそうになりながら朧げに違和感を感じて、ふと周りを見渡せば本心や本音を語る相手もいない。友人や家族であってもね。そこで何とか息苦しさから逃れようとしてインターネット上につながりを見つけようとする。でも、みんな分かってるんだ。そうして見つけたつながりがどれほど稀薄なものなのか。だから、結局はより一層の虚無感を味わうことになる。」

「誰かや何かに答えを求めている限り、決して辿り着くことはできない。真理は己の内なる心の中にある。でも、教育や社会によって、孤立して内に籠ることは暗い闇を意味するものとなっている。潜在意識が真理に目覚めようとするのを顕在意識が邪魔する。ある事象によって巻き起こる光と闇の満ち引きの中で、内面に向き合い、感じることに思考を重ねてようやく少しずつ目覚め始めるのに、人はちょっとでも内向きになると孤独を連想して、すぐにそこから逃げ出してしまう。そこは通過点であり、そこを通らなければ先には進めない。そこから学ぶべき叡智を獲得できなければ同じような経験を繰り返すことになるし、それでも気付けなければ、もっと感情を揺さぶるような事象に遭遇することになるのにね。」

望芽の言うことは、まったくその通りだと思った。
実際、晴人自身、おかしいことをおかしいと言って学校で孤立したことがあった。
孤立すること自体は苦じゃなかったし、無理して馴染みたいとは思わなかったけど、
分かってもらいたい訳でも、自分の正当性を主張したかった訳でもなくて、
ただ、おかしいものはおかしいし、通じない人には通じない、そんな場所になぜ、何のために、毎日通わなければならないのか?そこに何の意義も見出せなかった。

いつの間にか話しの輪に参加していた琉雅が口を挟んだ。

「さまざまな学問に触れる機会という意味では学校教育にも意味はある。さまざまな学問はそれぞれの生まれ持った何かを呼び覚ますような干渉や揺らぎを引き起こす。ある者は数学に、ある者は理科に、また、ある者は音楽に・・・・それぞれが初めはうっすらと心を惹かれる。それを集団の空気を利用して一方向に傾くように仕向け、均質性のある人間に育てることを目的としていることが問題なんだよ。何となく心を揺さぶられても、時間によって区切られてその何かを深める事ができないまま、うっすらと感じる何かに気付かないまま、多くの子どもが通り過ぎてしまう。純真無垢な子どもは、興味を惹かれるものに心惹かれるままに深められる環境の中では、もしかすると、闇の感情に基づく挙動に向かうこともあるかもしれない。真理を知る大人が寄り添っていれば、そうした経験の中、早い段階で真理に目覚め始める者もいるだろうが、残念ながらまだ多くの大人たちは目覚めていないし、むしろ本来とても大切な子どもたちのそうした時期を、難なく足速に通り過ぎることを願っている。それは、社会に出ても同じこと。集団の空気や同調圧力による一方面への誘導を受け入れる限り、植え付けられた価値観によって判断し、行動し続ける。恐怖や不安を掻き立てるような騒動を引き起こされれば、また、周りに合わせて動く。そうした積み重ねの中では、自分自身への信頼など育たないし、いつまでも周りに流され続けることになる。忙しさや日々の生活に追われる中で自分では何も選択しているつもりがないかもしれないけど、実際はそういうことを言い訳にして楽な方に流されているんだよ。なぜなら、変化には怖かったり面倒くさかったり、さまざまな代償があるからね。でも、そうした者たちは宇宙の真理への叡智の獲得が進まないまま、慈愛や善意という光側をあらゆる挙動の礎とするようになるまで、結局、恐怖や不安、悲しみや苦しみ、また時に喜びや思いやりや感謝に右往左往しながら同じような次元や密度を繰り返すことになるんだよ。」

「たった一度の生涯で叡智を獲得するのは困難だ。多くの魂は幾度もの生涯の中で、闇の愚かさや真理に目覚め、その魂と肉体を形成する素粒子に叡智を刻みながらやがては高次の存在となる。それぞれの存在は少しずつ目覚めて、やがてその存在を一生涯という枠を超えて宇宙という広いスケールで捉えるようになる。現在の融合体に固執することなく、叡智の獲得を目指して恐れず、屈する立場を脱して自分を取り戻していく。まずは真理の手がかりを得ようとしている者たちを惑わし、疑心暗鬼を生じさせて闇に引き戻そうとする支配者の土俵から降りることだ。それでも目覚めない者は、いずれ破壊的な事象によって澱んだ魂と心身を綺麗に浄化されることになる。」

ここで琉雅は少し間を置いて一人一人の顔を見渡してから、話しを続けた。

「いいかい。向上心と強欲は似て非なるものだ。強欲という自己中心的な執着に囚われず、生まれ持った潜在的な魂の目的、すなわち、叡智の獲得を目的としながら、文明がもう十分過ぎるほどに発展していることを理解し、もっともっととこれ以上を望むのではなく、より広く、より多くの先々の他にとって本当に必要なものだけを残していけるように、削ぎ落としていく必要があるんだ。そのために、それぞれが大いなるつながりに思い巡らせながら内面に問いかけ、互いに向き合っていかなければならない。」

「とても複雑で難しい感覚かもしれないけど、足るを知ることはとても大切なんだ。これは向上心がないことを表すものではなくて、人々は今あるものでもう十分、豊かに暮らしていけるっていうことを知ること。いや、もう既に行き過ぎていることに気付いて本当の豊かさのために削ぎ落としていく必要があるんだ。純粋に進化を望むものだった科学や、人々の崇高な信仰心までも金儲けのために歪めて利用された結果、大地も空も、海も、山も、草木も、空気も、水も、穏やかで大いなる自然が許容できないレベルまで汚染や破壊が進み過ぎている。これは支配者たちが己の私腹を肥やすために自然を原始的なものと結びつけて、人々の心を誘導してきた結果なんだ。支配者たちはただもっともっとと、決して満たされない強欲を満たすために盲目的に進み続けてきた。自然が原始的なんじゃない。立ち止まってこれまでのことを振り返ろうとしない猪突猛進こそがとても原始的な行いなんだ。人々はそのことに早く気付くべきだし、これ以上自然を汚したり、新しいものや便利なものを追い求めるべきじゃないんだ。一人一人が、これ以上の行き過ぎた文明を望むのをやめて、阻止する側に回り、自然を守り、豊かな自然を取り戻すために行動しなければならない。個人が満たされるには本当にもう十分過ぎるほど足りているんだ。これからは他者、自然、地球、宇宙へと、多角的な視野で行動しなければならない。これはとても高度な行いだ。この先も眠ったまま次から次へとあらゆるものが大量生産されては廃棄される社会を受け入れ続けるのか、気付き、目覚めて他や自然や地球との調和を考えて質の高いものを追求する高度な次元を目指すのか。それはすべて個人の自由だ。自由に選ぶことができるし、人々は常に選んでいる。自覚がないとしても無意識の中で、変化を面倒臭がって、もしくは怖がって、現状維持を選んでいるんだよ。」

これも晴人には腑に落ちた。その時にはよく理解できなかったけれど、母が話していたこととも結びつくものだった。当時は高度な次元を目指すとか目指さないとか、そういう考えには至らなかったが、得体の知れない何かに駆り立てられている世の中を、周りの人たちを、何となく不気味に感じていた。誰もがあまりにも孤独を恐れて、自分を押し殺してでも誰かや何かに縋るようにグループに所属して、死んだ目をして薄ら笑いを浮かべているように感じられて、そういう場に居続けることができなかったのだ。

思慮深げな面持ちで一人一人の内面に話しかけるような琉雅の言葉は、心と頭を行き来し、反芻しながらしっかりと晴人たちの中に溶け込んでいった。

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