幽学の性学

必要なのは正解探しではなく、自分で調べて選択すること

どんな境遇でも腐ることなく学び続け、恩師との出会いを通じて自らの使命を悟り、多くの人々の幸せのために尽くした人がいます。

彼は貧しい農民が自立できる仕組みを作り、人々の暮らしを良くするために行動しました。

しかし——

その志は、権力を握る者たちにとって「都合が悪いもの」だったのです。

彼の活動は阻まれ、使命を全うすることなく、この世を去ることになりました。

時代は変わっても、本質は変わらないのかもしれません。

誰かが作った「正解」を鵜呑みにするのではなく、自分で調べ、考え、選択することの大切さ。

彼の生涯は、それを私たちに問いかけているようでした。

私は今回の研修も、研修によってつながったたくさんのご縁も、すべて不思議な導きを感じずにはいられず、さらに詳しく調べてみました。

 

「大原幽学(おおはら ゆうがく)」という人物を知っていますか?

私は、彼のことをまったく知りませんでした。

でも、農業研修中に訪れた大原幽学記念館でその生涯に触れ、心を大きく揺さぶられました。

彼の生き方や考え方には、現代の私たちにも通じる大切なメッセージがありました。

それは、「正解を求めるのではなく、自分で調べ、考え、選択することの大切さ」です。

そして、もうひとつ。

「本当に世のため、人のためになることは、ときに権力を持つ者にとっては都合が悪いものになる」という現実。

時代を超えて続く社会の仕組みに疑問を抱きながら、彼の生涯を紐解いていきます。

 

不遇な境遇でも学び続けた少年時代

大原幽学は、1817年(江戸時代後期)に生まれました。

彼の幼少期は、決して恵まれたものではありませんでした。

幼い頃に親を亡くし、親戚の家を転々としながら育ちます。

そして、14歳のときに養子に出されますが、わずか2年後には養家を離れることになります。

学ぶ環境などないはずの境遇。

でも、幽学はそこで終わるような人ではありませんでした。

彼は、どんなに苦しい状況でも「学び」を諦めることなく、独学で勉強を続けます。

そして、そのひたむきな姿勢が、彼の人生に大きな転機をもたらしました。

 

師との出会いと「自分の使命」への気づき

ある日、彼は素晴らしい恩師と出会います。

幽学は幼少期から向学心が強く、独学で勉強を続けていましたが、15歳のときに伊吹山松尾寺を訪れ、提宗のもとで学問を深めました。提宗は儒学や仏教、易学など幅広い知識を持ち、幽学にとって大きな影響を与えた存在でした。

幽学はここで多くのことを学び、考える力を養っていきます。

そして、次第に彼は「自分が本当にやるべきことは何か?」を考えるようになりました。

それは、ただ自分が学問を修めることではなく、「学んだことを人々の暮らしに生かし、世のために役立てること」でした。

やがて彼は、農民が自立できる仕組みを作り、人々の生活を豊かにするための活動を始めます。

幽学が農民のための改革を志すようになったのも、この時期の学びが大きく関係していると考えられます。提宗のもとで「人々のために学問を役立てる」という考えを学び、それが後の「先祖株組合」や「報徳仕法」といった農村改革につながっていきました。

 

「報徳仕法」— 貧しい農民を救うための仕組みづくり

幽学が広めたのは、「報徳仕法(ほうとくしほう)」と呼ばれる農村改革の仕組みです。

これは、貧しい農民が単に施しを受けるのではなく、自らの力で生計を立てられるようになるための知恵や仕組みを提供するものでした。

具体的には、

・「先祖株組合」という組織をつくり、共同で農作業を行い、収穫を分け合う

• 農業だけでなく、商売や技術を学び、収入源を増やす

• 生活の中での倫理や道徳を重んじ、お互いに助け合いながら暮らす

というようなものです。

この仕組みを導入した村では、貧しい農民が少しずつ生活を立て直し、笑顔を取り戻していきました。

まさに、「自立」と「助け合い」による持続可能な社会の実現でした。

 

権力者にとって「都合の悪い存在」だった幽学

しかし——

幽学の行動は、**権力を持つ者たちにとって「都合が悪いもの」**になっていきました。

なぜなら、農民たちが賢くなり、自立することで、「支配しやすい都合のいい存在ではなくなる」からです。

彼の活動は、次第に幕府や地元の有力者たちの目に留まり、「反乱の可能性がある」「統治の妨げになる」と判断されてしまいました。

そしてついに、彼は「幕府に対する謀反の疑い」をかけられ、活動を封じられてしまいます。

それでも、幽学は屈しませんでした。

彼は最後まで、農民たちのために知識を伝え続けました。

しかし、その志は非情にも断たれることになります。

彼は自ら命を絶つという形で、その生涯を終えました。

 

正解探しではなく、「自分で考え、選択する」ことの大切さ

大原幽学の生涯を知って、私は強く思いました。

「本当に世のため、人のためになることは、ときに権力を持つ者にとって都合が悪いものになる」と。

そして、私たちが今生きているこの時代も、同じような構造が続いているのではないか、と。

「これが正しい」「これが普通」「こうするのが当たり前」——

そんな言葉に流されるのではなく、自分で考え、調べ、選択することが大切なのではないか?

幽学の生き方は、私たちにそんな問いを投げかけています。

 

何が正しいかを決めるのは、自分自身。

誰かの決めた「正解」に従うのではなく、自分の目で見て、心で感じ、選択する。

そんな生き方を、私たちは今こそ取り戻すべきなのかもしれません。

大原幽学の思想とリコネクトビレッジのビジョンは、とても深く通じるものがあります。

Hello! Myself
一人一人がリーダーであり、誰もが主役リコネクトビレッジは、誰のものでもない。一人一人、みんなが主役。上下関係なんてなくて...

幽学が提唱した「性学」は、一人ひとりが持って生まれた個性や役割を活かし、自らの力で社会に貢献するという考えに基づいています。これはまさに、私たちが大切にしている「それぞれの得意を活かして助け合い、心地良く暮らせる地球を目指す」というビジョンと一致しています。

また、幽学の「先祖株組合」のような持続可能な共同体づくりの考え方は、私たちが目指している「リコネクトビレッジ」の構想とも重なります。幽学は、農民が単に生きるための知識を得るだけでなく、学びを実践し、それを分かち合い、社会全体を豊かにすることを重視しました。私たちのビジョンも、個々が調和しながら成長し、互いに支え合うことを前提にしています。

さらに、幽学は「正解を探すのではなく、自分で考えて選択すること」の大切さを説いていました。これも私たちが、「情報を一方的に与えるのではなく、気づきを促し、自分の選択で心地よく生きる人を増やしたい」と考えている点と共鳴します。

幽学の時代、彼の教えは当時の権力構造によって否定されましたが、その本質的な価値は今もなお生き続けています。そして、私たちのビジョンもまた、現代社会の枠にとらわれず、より自然で持続可能な生き方を模索するものです。

つまり、大原幽学が目指した世界観は、時を超えて、リコネクトビレッジのビジョンと同じ方向を向いていると感じます。

私たちの活動は、現代における「新しい性学」として、多くの人にとっての希望となるのではないでしょうか?

大原幽学記念館の館長さんは、小学生が社会科見学で訪れた時に、「この言葉だけ、覚えて帰って。」と伝えるそうです。

慎其獨(そのひとりをつつしむ)

幽学の好んだ言葉で、『他人に見られていない言動も慎みなさい』という意味です。誰も見ていないから、どうせバレないから、といって人を欺くような行いは、他人に気づかれていなくても、自分自身はしっかり見ています。だから後味が悪く、何となく心に引っかかり(心の引け目)ができてしまうのです。そうなると、【慎其獨】というのは人のためにもなり、巡り巡って自分のためになることでもあるのですね。

 

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