生命を獲るということー山と人の間

本日は猟師の方のお話を伺ってきました。

Aさんは、ベテランの年配の猟師からは半人前で、そんな心持ちなら猟師は辞めた方が良いと言われるかもしれないけど、と言いながら、淡々と話してくれました・・・

農家の人が獣害で困っているけど、

誰もやらないから自分がやる。じゃあ、イノシシたちはどうして山を下りてくる?人間がスギやヒノキばっかり植えて、山にイノシシたちの食べる木の実や何やがなくなったから。人間はなんでスギやヒノキばっかり植える?戦後の焼野原を復興するために、山に材木となるスギやヒノキを植えた。成長が早く、加工しやすいからだ。山を持っているだけでものすごい金持ちになった。その名残で、今も後先考えずスギやヒノキを植え続けている。

山に入って手入れしたり木を伐る人がいなくなって、山は荒れて、ますますイノシシや獣たちの食べるものがなくなった。ハクビシンだって、人間がペットとして買ったものを放して繁殖した。犬だって野犬になって殺処分されている。みんな人間がバカだから、言い方が悪いけど年配の人たちが考えなしにやってきたことの尻ぬぐいを我々若いモンがやらされている。だって、誰かがやらないと困る人がいるから。

私に必要な生命と必要じゃない生命という線引き、

差別。人間が他の生命よりも上であると思っているから、そして目先のお金にばかり目がくらんでいるから、すべて人間が自分たちで自分たちの首を絞めている。

自分の子どもが生命を狙われたら?同じ生命として逆の立場を考えない。循環の一部であることも綺麗に忘れてしまっている。人間は本当にバカだ。 俺たちは山に入り、イノシシの生命を獲る。そのたびに自分の寿命が縮んでいると感じる。でも1頭獲って自分は生きているから勝ちだ。2頭獲っても生きているから勝ち。でもいつ負けてもおかしくない。何頭もの生命を獲っておきながら、山でクマやイノシシに遭遇してケガをしたらかわいそう?そんな感覚が正常だと思っている。そもそも、罠や銃なんかを使っている時点で、俺らの方が最初から負けているんじゃないか。

首よりも上を撃って動きを止め、素早く鎖骨の間の空いたところを刺してクッと刺した先を上に掻っ切るようにすることで生命を仕留める。人間とまったく変わらない。心臓から鮮血がシャーっと噴き出す。できるだけ早く血抜きすることで食味が良くなる。

家畜を含め、人工物ばかり食べていては

どんどんおかしくなってしまう。共存しながら責任を持って必要な生命をいただく。何が何をもってかわいそうなのか。食べるために負荷をかけて育てられ、生命への敬意なく工業製品として出荷されたパック詰めの肉は?何が正しいか間違いかではなくて、それぞれの生命への向き合い方なのだ。現代は『生きる』ことからあまりにもかけ離れている。生け獲りはハンターの片桐さんが名手だけど、そうした狩猟と加工の技術は俺らが一番だという彼の言葉からは、責任と自信が伝わってきた。

共感できることばかりで、大切な視座を心に持って、生命に向き合っているAさん。とても尊敬できる方でした。

さらに彼は言いました。この町のイノシシ肉はいまだに加工出荷が許されていない。豚熱という人間には感染しないウイルスに対して、万が一があったときに責任を問われたくない、という町や県といった行政側の事情もわかる。
 
農作物の被害防止のために狩猟されたイノシシの生命を無駄にせず、有り難くいただくために建てられた立派な加工場で町のイノシシを加工することはできない。しかし維持費もかかるし遊ばせておくわけにもいかない。そうしている間にも、生命は山で絶たれ、土に還っていく。
 
他県のイノシシを加工することにもさまざまな意見があった。なんで他県のイノシシをここで加工するために、そんなに町の予算を使わなければならないんだ?という声も多かった。
 
一方で、イノシシ肉やトラフグといったふるさと納税でも名産品としても盛り上がっていた名産物がことごとくダメになり、何かうまくいかない。毎年毎年いろいろな提案をしても、係長で止まったり課長で止まったり、最終的には予算にGOを出す総務がOKしなければ何をするにも予算が下りなくてできない。課長は3年ごととか、ヘタすれば毎年変わり、その課長のタイプによっては何の話にもならない。
 
かつては温泉郷として栄え、イノシシやトラフグを提供してお客さんに喜ばれてきた温泉宿のことをどう思っているんだろうか?ふるさと納税の名産品でもあったイノシシ肉やトラフグ、他にも廃校などを利活用して豊かな農産物の加工場をつくるような前向きな役場の動きは何一つ見えない。復活させれば町の魅力も税収も上がるはずなのに、行政内の判断は止まったまま・・・
 
なぜ?どこからどんな圧力があるのか?あるいは役場行政の面倒くさいという怠慢なのか。
 

だから議員に相談をする。

役場は議員から言われるとやる。だけど議員に言われて動いたことは役場では誰も良い思いをしないし、その役場の担当者が上になったときに良くしてもらえないというしがらみもある。だから行政の持ち物である加工場は身動きが取れない状況。

Aさんの話はとても大切な現場の声であり、一人でも多くの方に生命をいただくことについて、生きるということについて、生命の重さについて、同じ生命であることについて、考えてもらえるように届けたいと思います。

 
 

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