藤沢の食事会で出会った、いのちが喜ぶ食治料理
先日、MMMのお一人の方が藤沢のご自宅で開かれた食事会に参加させていただきました。
そこで振る舞われたのは、韓国人の師匠に学ばれたという「食治料理」の数々。
一品ずつ、ゆっくりと味わうたびに身体の力がふっと抜けていくような、そんな、深くてやさしい食事の時間。
「美味しい」を超えて、心と身体の奥がじんわり喜んでいるのを感じました。
空気中の菌とともに、暮らす
この日の食卓に並んだものは、すべてが手作り。
しかも調味料まで、市販のものではなく、空気中にいる菌たちの力を借りて、自宅で育てているというのです。
非加熱の甘酒。
特製のお味噌だれ。
手づくりの納豆。
どれもこれも美味しかったのですが、感動的だったのが、その納豆を使ったドレッシング。
納豆ドレッシングなんて、聞いたこともなくて最初は驚きましたが、ひと口食べたらもう、やみつきに。
納豆嫌いでも食べられるようにということでしたが、納豆の味はまったくなくて(私は納豆はもちろん好きですが)、ただただ美味しいドレッシング!我が家で作る玉ねぎとにんじんとにんにくのドレッシングに似ているけど、もう少しまろやかでコクがある感じで、食事会では蒸した野菜でいただきましたが、これは生野菜がいくらでもイケちゃうやつです!
どの料理にも、ただ栄養があるというだけでなく、“育てられた菌とともに過ごした時間”や、“食べる人への愛情”が、ひっそりと宿っているように感じました。
野菜だけなのに、満ち足りている
この日のお料理は、お肉もお魚も使われていませんでした。
でも、不思議とまったく物足りなさがない。
むしろ、身体がどんどん軽くなって、心がふわりとやわらかくなっていくのを感じました。
食べ終わったあと、ふかく息を吐いて、
「しあわせだなぁ」と思わずつぶやいてしまうような…そんな余韻がありました。
“身体に良い食事”というより、
“身体がよろこぶごはん”。
そんな言葉が、ふと浮かびました。
料理って、なんだろう?
食事会のあと、自然と「料理って、そもそもなんだろう?」という話になりました。
農薬や化学肥料を使わず、元気な菌とともに育った野菜を、そのまま収穫して食べる。
それが一番贅沢なんじゃないかって。
そう考えると、料理とは“手を加えること”ではなく、素材と自然の声に耳を澄ませながらその命がもっともよろこぶ形でいただくための“仲介役”なのかもしれません。
土が元気になると、食べものも、私たちも元気になる
私もこれまで、味噌や甘酒、ミキ、ひしおや麹の手づくり調味料、雑穀や重ね煮、マクロビ、ヴィーガン料理など、さまざまなスタイルで“食といのち”の関係に向き合ってきました。
そして行きついたのは、「土の元気を取り戻したい」という想い。
だからこそ、自然栽培や無農薬の農家さんとつながり、その土地の菌の力を活かした野菜やお米に魅かれ続けてきました。
けれど、その土壌にたどり着くまでのプロセスには、発酵や食治、無添加の食品などの存在が、やっぱり必要だと思うのです。
まずは、「余計なものが入っていない食べもの」の美味しさを知ってもらうこと。
それが、自分の身体を信頼することにつながって、やがて土や自然への感性を取り戻していくきっかけになるのではと、感じています。
栃木でひらく、いのちのごはんの会
食事会を主催してくれたMMMの彼女は、「栃木にも行ってみたい!」と言ってくれました。
栃木の自然栽培農家さんの野菜やお米で、ぜひ『食治料理を味わう会』のようなリトリートをひらきたいと思っています。
自然に囲まれた場所で、心と身体がゆるんでいくような時間。
納豆ドレッシングもきっと登場します。
私もさっそくレシピを検索して作ってみましたが、あの味には遠く及ばず。でも、それでもすごくおいしくて。「食べものを自分でつくること」の豊かさを、あらためて感じました。
食べ方が変わると、世界が変わる
食べものは、私たちの血や骨や心をつくってくれるもの。
そして同時に、私たちが「地球とどうつながって生きていくか」の答えを教えてくれるものでもあります。
“何を食べるか”だけではなく、
“どんな想いで、どういただくか”。
「身体がよろこぶものを、心から味わうこと」。
それは、いのちがいのちに出会うこと。
わたしたちは、食べるたびに、自然とつながっているのだと思います。
そして、そのひと匙を丁寧に、やさしくすくうことからきっと、世界はやさしく変わっていくのだと思います。
いや〜、幸せ過ぎました!ご馳走様でした🙏

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