北関東で唯一とされるイノシシの加工場
『八溝ししまる』を訪問させていただきました。

かつては那珂川町の名産品として、ふるさと納税でも人気を博したこのイノシシ肉。
しかし数年前に豚熱が発生して以来、町内で捕獲されたイノシシは流通できず、野生鳥獣被害により捕獲した生命を無駄にしないために作られたはずの加工場も本来の役割を果たせないまま現在に至っています。
豚熱は人には感染せず、隣接する茨城県の隣町では今も問題なくイノシシ肉が流通しています。野生のイノシシは当然ながら人間の取り決めた境界などに関係なく自由に移動します。つい昨日まで那珂川町にいたイノシシが隣町では食卓に運ばれているのです。
ですが、行政支援のもとで設立されたこの施設では、万が一豚熱の影響が出た場合の責任問題に尻込みしていて、現場の方は再開に向けた強い熱意を持ち、自ら県へ足を運んで直談判をしたいと訴えても、止められてしまう。
現場を知らない役場の認識は、「獲ってきて、さばいてるだけでしょ?」というレベル。その言葉に、現場の誇りがどれだけ傷ついているか…想像に難くありません。また、制度の縛りによってふるさと納税の返礼品としても扱えないなど、制度上の制約が多く、地元の恵みがうまく活かされていない現実に直面しました。
いま那珂川町の加工場では、千葉県産のイノシシを仕入れて加工しています。
安全性に問題があるわけではなく、むしろきちんとした衛生管理のもと丁寧に処理されています。
どこの市町村であっても、加工地を記して販売されているのは周知の事実ですし、そもそも自由に移動する野生の生き物という点でも、制度と現場のズレを感じました。
命をいただくこと
この行為が持つ意味や、
制度の枠を超えて、地域の資源と誇りをどう活かすか──。
「正しさ」と「現場のリアル」の間にあるこのギャップを、どう橋渡ししていくのか。
同時に私たちは、食肉という行為そのものの持つ構造も、見つめ直す必要があります。
家畜である牛や豚、鶏は、大量の飼料や水を消費し、時にワクチンやホルモン剤に依存する仕組みで育てられています。
その飼料の生産のために、発展途上国では何ヘクタールもの森林が伐採され、気候危機や生物多様性の喪失にもつながっています。
一方、ジビエ(野生鳥獣)という資源は、人間と自然の関係を“頂点消費”ではなく、“循環”の視点で考えるきっかけにもなります。
本来なら、野生と共にある暮らしの中で、人と自然の距離を近づける大切な手段なのに、制度という壁の中で、地域の努力と資源が眠らされている。
もう一度、現場の声から政策を考える時代へ。
そして、“獲る・食べる・つなぐ”という営みを、責任と共に循環させる暮らし方へ。
命と向き合う食のあり方
“命をいただく”という行為が、いつの間にか「商品を消費すること」になってはいないだろうか──。
現代の食を支える家畜産業は、飽食の裏でいくつもの深い課題を抱えています。
家畜を育てるために、世界中で大量のトウモロコシや大豆などの飼料作物が栽培されており、それによって森林が伐採され、土地が枯れ、農薬や化学肥料による土壌汚染、水質汚濁も進んでいます。
その一方で、その飼料生産の影響で人間が食べるべき穀物が不足し、飢餓に苦しむ地域が生まれているという報告もあります。
私たちは、こうした構造の中で、「お肉はスーパーに並んでいる商品」になってしまいがちですが、その一つひとつの裏には、同じ命があることを、忘れてはならないと思うのです。
一方、那珂川町にあるイノシシ加工場では、野生動物による農作物被害という、地域が抱えていた切実な課題からスタートしました。
山から里に降りてくるイノシシは、田畑を荒らし、人々の暮らしに影響を及ぼします。
その命を、ただ「駆除」するのではなく、「感謝していただく」形に変える。
それが“ジビエ”という文化の本質だと私は感じています。
ジビエは今、少しずつ注目されるようになりました。
けれど、その一方で、「おしゃれでヘルシー」「珍しい」という表面的な人気だけで終わらせたくはありません。
狩猟から加工までの流れを“見える化”し、 命と向き合う体験として伝えること。
これは、命の大切さを伝える教育であり、
環境と暮らしを見直す入り口にもなるのではないかと思います。
食べものは、“買う”ものではなく、“いただく”もの。
いただくとは、その命を引き受けるということ。
だからこそ、たくさんを求めるのではなく、
ほんの少しの量を、感謝していただく──そんな意識に立ち返ることが、今の社会には必要だと感じます。
私は、ベジタリアンやヴィーガンという枠に囚われることなく、
生命と自然、地域の循環の中で、「本来の食の在り方」を選びなおす一つの視点として、ジビエの可能性を伝えていきたいと願っています。
そしてその先に、人と自然、地域と都市、消費と命──
そのすべてが、もっとやさしく、循環する世界を描いていきたいと思います。
この矛盾に気づいている一人として、私はこの声を、届け続けていきたいと思います。
こうした現状を知り、考え、新しい提案やつながりをつくる余白を見出していくことも、大切な役割のひとつだと感じました。
制度の枠内でできること。
枠の外から照らしていくこと。
どちらも大切にしながら、“地域の宝”がまた動き出せる未来を描いていきたいです。
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