Vol.5 晴耕雨読

この世界の暮らしは、これまでの暮らしや常識とはまったくかけ離れたものだった。
まず、朝は日の出とともに目を覚ますと、朝日を浴びながら外の水場で顔を洗い、
冷たい水を飲んで寝ている間に体の中に滞ったいろいろなものを押し流す。
ゆっくりと深く呼吸を整えながらしばらく朝日を眺めてホルモンを切り替え、体をしっかりと目覚めさせたら、次は部屋の掃除をする。野菜や果物の朝食を済ませると、・・・・晴人たちは畑仕事をした。

大いなる大地の生命力の一切を阻まれないこの広大で肥沃な土壌はインフィニット・メドウズと呼ばれ、色とりどりのあらゆる植物が鮮やかな田畑が広がっていた。ニワトリや鴨は放し飼いされ、自由に動き回り、小虫を啄んでいた。多様な野生動物の生息する山間にはウシやヤギやヒツジが自然の草葉を食みながら自由気ままに過ごしていた。人々は動物たちを見守りながら土を耕し、種を植え、雑草をむしり、水を遣り、作物を収穫していた。

晴人は、どちらかというと土や虫が苦手な方だったが、この憧れのホビットのような世界で、大木をくり抜いて作られた清々しい空間で一休みをしたり、陽の光を浴びながら汗を流す畑仕事はとても心地良く、自分で心を込めて育てた野菜は、これまで以上にとても美味しく感じられた。

大体二〜三時間程度、それぞれのペースで畑仕事を済ませると温冷水で汗を流し、あとはなんと、・・・・自由時間だった。

各自お腹が空いたタイミングで昼食や夕食を摂ることになっているが、不思議と大体みんな同じ時間にダイニングルームに集まるので、晴人はナユタやマナスとも自然と親睦を深めていった。

ナユタはロシア人で、此度の戦争の始まる少し前にアルゼンチンに移り住んだのだそうだ。コロナの影響で両親は住む場所に囚われないネットビジネスに切り替え、オンラインロシア語スクールや情報発信をしていた。西側諸国では、とてもひどい情報統制が横行していて、今戦争においてはロシアを一方的な悪とするウクライナ側の情報ばかりが流されている。学校教育では歪な歴史が刷り込まれ、人々は偏った情報を信じ込み、自分から視野を広げて多方面から情報を集めて擦り合わせようともしないと言った。

「特に日本人は、自分たちのルーツや正しい歴史を学ぶ機会を奪われているわね。年号と起きた出来事の暗記ばかりでうんざりしてしまって、その出来事の背景に興味を持たないから、ちょっと体裁を整えるように作られた歴史を簡単に信じてしまうし、面白味のない勉強に飽き飽きしていて、これじゃあ関心を持てるはずもないし、学ぶことの楽しみや喜びを知ることなんて到底無理だわね。」

晴人はナユタの話しを聴きながら、凛子も以前同じようなことを言っていたのを思い出した。

ずっと根っこを辿っていくと、まったく別の景色が見えてくる。
多くの人は、発信元や発信者の権威性で信じる情報を選んでいるけれど、お金や利権によって操られている権力者や影響力を持つ人たちの情報を盲信した結果が現代社会だ。平和や安寧幸福を感じて現代を生きている人がどれだけいるだろう?
情報だけではない。政治、経済、教育、法律、医療、さらには食糧産業までもが支配者によって牛耳られている。そして、支配者たちは次から次へと新たなものを生産しては人々に売りつけ、搾取し続けている。人々は生産するための機械で、消費者で、自然でさえも彼らには商品でしかない。挙句、政治家までもが結託して人々から重税を掠め取っている。
そして利権に群がる『今だけ、金だけ、自分だけ』の思想は個人にも蔓延している。
今や情報は日々倍々ゲームのように無限に増え、改竄、切り抜きなど様々な加工が施されており、個人がその信憑性を確かめて、真実に辿り着くことは容易ではない。
生涯学習なんて言葉ばっかりで、大人になってからも学んだり、さまざまな知識を深めようなんて人はほとんどいない。学生時代にどれだけデータを詰め込んだかを、昔取った杵柄のようにしょっちゅう語ることはあっても、実際にはそんなものはほとんど覚えてもいない。
さらに、仮にこの世界の狂気に気付き、目覚めた人が情報を集めて発信したところで陰謀論などと揶揄されて真理の追求は阻まれ、真実が広まらないように、金や権力を使って握り潰されているのだと。

何を信じようとも、どんな選択をしようとも、すべては自己責任なのだから、
もっと自分の心や目や耳で、情報を精査し、識別する力を身につけていかなくてはいけないし、そうすることによって、世界の全体像が見えてくるのだと言っていた。

マナスは、国籍やファーストネームは分からないのだと言った。両親はマナスが幼い頃に飛行機事故で亡くなり、両親が万が一のことがあった時のために指定していた後見人の日本人に育てられたのだそうだ。

そして二人とも、晴人と同じで学校にはほとんど通っていなかった。

「君たちはきっと、まったく知らないだろうけれど、今回のサイクルでは日本人にいくつもの謎を解く鍵が隠されているんだ。それは日本人のDNAにも色濃く残されている。だから、連中は日本人が深い眠りに落ちているうちに血を薄めようと躍起になっているんだよ。それなのに、日本人はいつまでたっても目覚めることなく、真実に目を向けようともせず、騙され続けて、楽な方に流されるままでいる。」

「日本人のDNA?血って?深い眠りって?どういうこと?」

「あっ・・・・ごめんね。混乱させるつもりはないんだよ。」

そう言いながらも、マナスは一瞬、焦りや苛立ちのような表情を浮かべたように見えた。

「これから少しずつ分かってくると思う。大丈夫だよ。ただ、今回のサイクルでは君たち日本人にはとても特別な役割があるんだよ。サイクルっていうのも、今はまだ理解できないと思うけど、僕たちは目に見えることや、形あるものだけでは計り知れない、とても大きなつながりの中で生きているんだよ。でも日本人は、善くも悪くも広くあらゆる世界観を受け入れる懐の深さがあって、それが悪用されて善くない方向に転がってしまっている。忍耐強さや空気を読む文化には、善い面も悪い面もあるんだ。ここでの生活の中で君もきっと、単純に善し悪しだけで識別できない、大いなる力やエネルギーのバランス、僕たちが生きる意味をしみじみと感じ取ることができるようになるはずだよ。」

マナスの言ったことは頭ではよく理解できなかったけれど、晴人は自分の中にある記憶か何かが反応しているような、心に何かが響くような感じがした。でも何か、国とか人種とかよりももっと大きな何かがあったはず・・・・少し離れたところで、物憂げな表情を浮かべた右京が晴人たちを眺めていた。

午後は自由に過ごすことになっていた。屋外で豊かな自然を楽しむ人もいたし、部屋で静かに過ごす人もいた。瞑想ルームや図書室などで、各々がゆったりとリラックスして過ごしていた。晴人は初めはスマホやインターネット、ゲームもない世界なんてどれほど退屈だろうと思っていたが、畑の中の大木をくり抜いた空間や瞑想ルームで心を鎮めて瞑想をしたり、木陰の草むらで寝転んで空を眺めていると、体の中に溜まっていた疲れや毒気のようなものが抜け出ていくようで、とても心地良かった。

そして、豊かで楽しい食後のリラックスしたひと時を過ごしていると、それぞれのタイミングで講義のようなものが始まる・・・それぞれの頭の中で。

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