先日、久しぶりに役所に行ったときのこと。相変わらず役所は混んでいて、職員は決められたマニュアル通りの受け答えをしていた。大勢待っている人がいるのに、スピードアップや効率化を考えているような素振りもなく、密がどうのと言う割に、用意された待合椅子同士の間はさほど離れていない。以前よりも職員が多い気もする。立って御用聞きをしている職員や警備員風の人が1フロアに数人いた。全員公務員扱いなのかな・・・
以前と変わっていたのは、窓口のバリケード。昔、仕事の都合でしょっちゅう役所に顔を出していた時に、窓口の職員に対して今にも殴りかかりそうな剣幕で話していた人を思い出した。
自分の番になって窓口の前にいると、ふと、隣の人と職員との話しが聞こえてきた。
「こちらの用紙にご記入いただくことで、ご主人に今いる住所が知られないようになります。」
というような話しをしていた。
女性は2歳ぐらいの小さな子を連れていた。子はベビーカーに座って大人しくしていて、女性は職員の指示で数枚の書類を書いていた。
数年前の私だ・・・
厳密にいうと、私は子を3人連れていたし、個室だったけれど。こんな紙に記入するだけで本当に見つからないんだろうか?元夫が何らかの手をつくして見つかってしまうんじゃないか。そんな猜疑心でいっぱいだった。遠く離れた土地まできても似たようなシルエット、同じような車を見るだけで身体が固まってしまうぐらいの恐怖はなかなか消えてはくれない。
でも、役所の人はそんな表情な不安をぶつけても、マニュアル通りの機械的な返答しかしてくれない。何か法的な問題などが合った場合には開示しなければいけないと・・・そういえば、マニュアル的な仕事はAIにとって代わられるとかって話しがあったな。
まあ、それはさておき。当時はただただ逃げること、見つからないことに必死だったけど、今は思う。ただ暴力という点でいえば、暴力をした側が悪いというのは誰でも分かること。一時期、「暴力を振るわせる方が悪い。」なんて発言を聞いたこともあったけど、私たちの矢印はそのような方向にはなっていないのだと、後になって恩師に言われた。どんな理由があっても暴力をふるう方が悪い。
それなのに、どうして悪くない方が、逃げたり身を隠したりしないといけないんだろう。見つからないように、縁もゆかりもない土地に逃げて、慣れない環境の中で、しばらくは誰も信じられない中で、生きていかなければいけない。
暴力をふるった側は、昨日までとほとんど変わりない環境で、それなりに信用できる仲間と過ごし、それまで通りの仕事をして生きているのに。
少し前のことも思い出した。社会保険から国民健康保険に切り替わる時に、そもそも失業してお金がないから国民健康保険料の減免を申し出たのに、役所の人の回答はマニュアル通りだった。「今年は、コロナが直接の原因で失業した場合には、制度があるんですけどね。」今年は???コロナが流行したからといって、他の困りごとがすべて消えるわけではないのに???
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