古代の記述や伝統から、エッセンシャルオイルやその他のアロマ物質は、数千年にわたり宗教儀式や病気の治療その他、心身の必要に応じて用いられてきました。紀元前4500年にさかのぼる記録には、アロマ的性質をもった芳香性の物質が宗教儀式や治療行為に用いられていたことが記されています。古代の文献によると、香木、樹脂、香辛料、芳香性の酢やワイン、ビールが儀式や寺院、占星術、防腐処理、医薬などの目的で使用されたことがわかります。これらの証拠から、昔の人は現代の私たちよりもエッセンシャルオイルに対してより深く精通していたことが分かります。
エジプト人はエッセンシャルオイルやその他のアロマ物質を死体の防腐処理に用いる優れた技術をもっていました。歴史的な記録では、古代エジプトのファラオ医学がジェセル王(BC2780〜2720)の再送である建築家イムヘテプによって打ち立てられた様子を記しています。イムヘテプはしばしばオイル、ハーブ、アロマ植物を医療用に用い始めた人物とされています。匂いのもつ潜在的な力を発見したのはエジプト人が最初かもしれません。個人的な用途にも、また寺院やピラミッドで行われた儀式のためにも、エジプト人はさまざまな香料の調合法を作り出していました。
そのほかエジプトの寺院の壁に描かれた数多くの象形文字が、オイルの調合や数百ものオイルの製法を描写しています。この例としては、ナイル川の西岸に立つエドフ寺院です。何世紀にもわたってほぼ完全な形で砂丘の下に埋葬されていたエドフ寺院で発見された古代のパピルスには、錬金術師や大司祭がアロマ物質を儀式のために調合したレシピが記されていました。壁には、世界最古の香り「キフィー(kyphi)」の調合レシピが象形文字で書かれていました。香りのブレンドには、フランキンセンス、ミルラ、ハチミツ、ワインに浸したレーズン、ショウブ、松やに、ジュニパーが含まれていました。壁にはもう一つ、神の手足に油を注ぐために使う「ヘケヌ(hekenu)」のレシピもありました。
キリスト生誕のはるか以前に、古代エジプト人はエッセンシャルオイルを集め、大理石の器の中に保存していましたが、これらの器は香りのついたオイルを保管するために特別に彫り上げられた形をしていました。1922年にツタンカーメンの墓が発掘された時、350リットルのオイルを保管できる50もの大理石の瓶が発見されました。墓泥棒によって貴重なオイルはすべて盗まれていましたが、重い瓶は残されており、そのいくつかにはオイルの跡が残っていました。墓泥棒は、純金の莫大な副葬品よりもオイルを選んだのです。古代エジプト文明において、いかにエッセンシャルオイルが貴重であったかが、このことからも伺えます。
1817年、エーベルス文献が発見されました。長さ20mにもおよぶ医学に関する巻物です。紀元前1500年のこの文献には、800種もの薬草の処方と治療法が含まれています。また別の巻物には、81種の異なる病気について高い成功率が記されています。この治療法の多くは、ミルラとハチミツを使用したものです。ミルラは現在でも、皮膚やのどの感染を防ぎ、皮膚組織の再生を促す能力が認められています。細菌の成長を防ぐのに効果があることから、ミルラはミイラの保存に用いられたのです。
イオニア、アッティア、クレタ(地中海一帯に広がった古代文明)の外科医は、見聞を広めるため、ナイル河畔の都市にやってきました。この時代、コス学派が創設され、ヒポクラテス(BC460〜377)が参加していました。多少の誇張は混じっていますが、ギリシャ人はヒポクラテスを「医学の父」と讃えています。
ローマ人は寺院や政庁を清めるために、エッセンシャルオイルを使っていました。また、アロマ物質を蒸し風呂に用いて肉体の疲れを癒やし、疫病を防いでいました。
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