Vol.9 依用相承

僕たちは相変わらず無空間を彷徨っていた。そして、コハクは神話や伝承のことについて語り始めた。

「口伝や書物によって、多くの神話や伝承が受け継がれている。神話や伝承は実際に起きた出来事を後世に伝えるために加工されたものという見方もあるけれど、想像力豊かな先人による創作かもしれないし、現代の作り込まれた歴史と同じように当時の支配者にとって都合良いように事実を歪めて伝えようとしたのかもしれない。多くの人間の中身、つまり感情は今も昔も驚くほど変わっていない。創造主によって複雑なすべての感情を授けられているからね。ただ、昔は今ほど集団的な固定観念はなかったから、良くも悪くも今よりももっと自由で豊かな発想力によって、さまざまな発明や思想が生み出されたんだよ。」

「もちろん、体に入れる飲食物や生活様式だって今とは大きく違っていたし、それらが感情や思考、行動に及ぼす影響は計り知れない。現代人は豊かさを求めて進歩を遂げているつもりが、利権に塗れた情報や知識に汚染されて心身ともにどんどん貧しくなっているんだ。」

コハクはやや深いため息をついて一呼吸おいた。まるで湧き起こってくる腹立たしさを鎮めているようだった。

「神話や伝承をそれぞれ一つずつではなく多くの物語を俯瞰してみると、その流れはとても似通っている。大いなる人智を超えた存在が人類を創り、人類はその存在を神と崇めた。生まれ持った生存本能や子孫を残そうとする本能によって人類は食糧や生命を奪い合い、蛮行を繰り返して幾度となく自滅の道を辿った。大いなる存在は授ける智慧に配慮しながら何度も人類を創り直した。やがて安寧幸福な世を築く人類が創造された。しかし、繁栄による人口増加とテクノロジーの進歩によって支配や独占を企てるものが現れ、またしても人類は思わしくない方に向かい、神の怒りに触れた人類は、その大いなる力で引き起こされた大厄災によって滅ぼされた。しかし、慈愛や善意の度合いが発達した一部の人類は大いなる存在によって守られ、新たに創造された人類とともに発展に寄与したと、だいたいそのような流れが繰り返される様子が描かれている。」

「シュメール、メソポタミア、エトルリア、マヤ、ホピ、インダス、エジプト、ギリシャ、レバントなど、さまざまな民族によってあらゆる神話や伝承が今でも多く語り継がれていて、どれも同じようにテクノロジーが闇側に偏りすぎると世界は滅びることを告げている。さまざまな表現や解釈による情報が存在するけど、その顛末は驚くほど酷似している。そしてその内容は事実として受け継がれている歴史や、現代社会そのものだ。それらはどのような視点でどう捉えるかによる多少の違いがあるだけで、どれが正しいか間違っているかを精査することにはあまり意味はない。でも、どうしてこのような伝承が語り継がれてきたんだろう?誰がどういう意図で伝え残してきたのだろう?これらは同じ過ちを繰り返す人類に何らかの警鐘を告げているようにも感じられるし、だとするとその情報を広く、大きく、相対的に捉えて、そこに自分たちが得るべきものを識別することには大きな意味があると思うんだ。でも、一方では、見えざる存在への恐怖とともに、何かを崇拝し依存することを助長しているようにも感じられる。」

「一つ確かなことは、いつの世にも光に当てられる者や闇に呑まれる者、光の希望を見失わない者、合間を漂う者がいたっていうことなんだ。そして何度も滅びを繰り返しているにもかかわらず、人間性や精神性を高めて、慈愛や善意を礎にした選択をすることが人々を安寧幸福に誘う唯一の道であることが教えられないまま、地球はずっと物質を追い求める強欲によって自滅を繰り返してきた。そういう原理原則、宇宙の真理を誰もが魂レベルでは知っていても、地球では未だに公にはその意識を取り戻せずにいる。人間誰しもに自由が与えられているのだから、そうした真理を伝え広めた上で個人に選択させてもいいはずなのに、どうしても人々が精神性を高めて、慈愛や善意や思いやりに基づいた国づくりや世界づくりに向かわないように、気付かないように、目覚めないように画策する者が現れる。」

「それはどうしてなの?個人の自由な采配に任せるとやっぱり光が上回るから?」

「うーん、どうかなぁ・・・・もしも純真無垢な幼い子どもたちを一切の教育なしに、ただ食事や睡眠環境を整えて安全性を保った自然な空間で野放しにしておいたら、その子どもたちはどんな風に育つだろう?もちろん、十分な親の温かい慈愛を注いでね。果たして、学校教育や何らかのバイアスを受けずに、自然の中で仲間たちと一緒に育っていったら、子どもたちはどうなるんだろう?慈愛や善意によって互いに分かち合い、助け合う光に満ちた存在に育つんだろうか?それとも、誰に教えられなくてもやっぱり成長と共に自分と他を比較するようになり、他よりも抜きん出ようとしたりするんだろうか?」

晴人は想像してみた。まるで慈愛に満ちた天国のような世界で赤ちゃんが育ったら?それはやっぱり天使のような存在に成長するんじゃないかと思った。しかし一方で、先日の右京や国主琉雅の話を思い出した。この地球に降り立ってきた以上、それぞれの生まれ持った意図に沿ってさまざまな光と闇を経験しながら学び、魂を成長させてより高次元の存在とならなければならないのだとしたら、そんな実験みたいなことはきっと無意味に違いない。

コハクは晴人に優しい眼差しを向けながら話しを続けた。

「文明の進歩には宗教が色濃く関与している。受け継がれた神話を引用したような、神話と一体化したような教義を広め、大いなる存在を神として崇めることによって、人々の倫理観は統一しやすくなるし同調意識も芽生える。同じ神を崇める『自分たち』とそうではない『他』という区別が生まれ、大いなる神によって守られる自分たちは、他よりも優れている、優れていなければならないという軋轢を生み出し、そうした敵対心によって争いが起きる。やがて、宗教とそうした人々の感情を利用して国が発展し、国同士の争いが繰り返された。中には国を跨いで信者が存在する宗教もあるけど、その強い絆は善か悪、どちらに転ぶんだろうか?悪に転べばその宗教を利用する支配者によって国を侵食されてしまうかもしれない。果たして、ただ純粋に、己の利以上に人類の安寧幸福を願う宗教は存在しているんだろうか?」

コハクの言うように、大いなる力、人智を超えた存在、神など、神話も伝承も宗教も、大抵の人の目には見えない霊的なものを崇めるように教え広めている。そして、世界の人口の半分以上の人が元を辿れば一つの『神』を信仰している。支配者は、精神的な存在を崇めるそうした人々の純粋な信仰心までも利用して争いを引き起こしながら、人々が彼らにとって必要以上に目に見えない存在や力や何かに目覚めることのないように特段の注意を払い、領土や資源などをより多く手に入れようとしているのには、何だかとてもやるせない気持ちになった。

それと同時に、一つの疑問がぼんやりと思い浮かんだ。

「日本人は周りの空気を読んで大勢に流されやすいし、何となく欧米人に弱いっていう国民性があるけど、宗教は何か一つだけが大きく広まっていないっていうか、無宗教だったり多神教だったりするよね?これって何か意味があるのかな?」

と、以前のマナスの言葉を思い出しながら晴人は尋ねた。

「伝承によると、過去には一万年以上も争いを好まず、分かち合い、助け合い、認め合い、平安で高度な文明を持続させてきた人類がいたという。そして、その文明はかつての日本で起こったとされている。大いなる存在の審判によって多くの生命が滅びゆく中で、そうした文明を築いた人類が選定されて生き延び、世界中に散らばった。それぞれがそれぞれの地で自分たちの文明や技術を教え広め、ある者はそのままその地に残り、ある者は再びこの日本の地を目指して東に向かい、舞い戻ってきたとされている。現代に生きる日本人にはあらゆる地の風土に触れながら育まれた遺伝子が受け継がれているんだ。飛鳥時代に聖徳太子が制定したとされる十七条憲法には『和を以って貴しとなす』という言葉が収められている。これは諍いを起こさずに、しかし馴れ合うことなく互いの和を尊重し合えるように納得がいくまで話し合いなさいという意味合いと取れる。さまざまな地を渡り歩きながら血を融合してきた日本人には、そうした思想が遺伝子レベルで受け継がれているだろうし、長年の移動によって世界中にもその思想を受け継いでいる者たちがいるんだ。だからこそ、気付き、目覚める人たちが増えてきているんだよ。日本人には特に、何か一つの民族や宗教を特別に扱うことなく、それぞれの良さを認め、解釈の違いを受け入れて融合していこうとする懐の深さが色濃く受け継がれているんだよ。」

「なるほどね。どっちつかずのハッキリしない日本人は、ヘラヘラして自分の主義主張を持たず、何となく欧米人には軽んじられていると思っていたけれど、逆に白黒ハッキリしないと気が済まない、それでいて表面的な事象にいちいち反応したり感情を剥き出しにするような思想は、明らかに争いや揉め事に発展しやすい気がするね。」

「高度な文明は過度な競争や争いを生み出すものであり、慎重に進めていくべきであるという説を流布することによって人々を支配している側にとって、高度な文明を生み出して、なおかつ一万年以上平和であり続けた縄文人の存在は邪魔でしかないんだ。そのような事実が広く知れ渡れば、現代のような支配構造はまったく不要であることが明るみに出てしまう。だから、結局のところ、どういった思想の側がどんな意図でこうした伝承を語り継いでいるのか、正直まったく分からないけど、事実と照らし合わせてみるとやっぱり現サイクルの日本人には大きな役割を感じずにはいられないし、昨今の日本人を標的としているような時勢を見ても何らかの闇側の意図が見受けられるね。」

コハクの話しにはとても考えさせられた。結局、僕たちは現実にも伝承にも、どこまでも振り回され続けている。数年ごとに引き起こされる大厄災に直面する中で、何を感じ、何を考えるのか?目覚め、気付き、叡智を獲得することができるか?それはそれぞれの裁量にかかっているし、行き過ぎたテクノロジーがいつ人工的に大厄災を引き起こすとも限らないと言われている。それにこの百年足らずの間にはいくつも戦争が起きている。今この瞬間にも現実に多くの血が流れているにも関わらず、それでも多くの人がそれは遠い異国の別世界のことで、どこか現実味のない出来事のように感じてしまっている。大いなるつながりによる大家族の一員として、自分の家族が、兄弟が、恐怖や苦しみに直面しているのだという実感がない。だから、いつまでもこの世界の戦争はなくならないんだ。一方で、情報統制された報道がどこまで真実なのかも分からない。結局、堂々巡りになって結局虚構の世界に意思の力を奪われて、思考を消耗しているようにも感じられる。

「いろいろな例を挙げて話してきたけれど、あることがすべてに共通しているんだ。それは、とにかくあらゆる方面で人々が目に見えない、手の届かない何かに恐れ、怯え、救いを求めるように仕向けられている。支配者は仲間であるはずの存在を敵だと思わせて人々を戦わせ、人々が本来目を向けるべきことから目を逸らさせて疲弊させている。一見救いに見える物事でさえ、長い時間をかけて支配者にお金や権力を集約する、とても長期的で巧妙な計画が見えてくるんだ。」

「もし君が神の存在を信じていないとして、ある宗教で神の存在を信じている人を笑ったり詰ったりするかい?何を信じるのも自由だし、それぞれが自分の責任においてさまざまな事象を信じている。また、僕たちが目に見えている物事よりも目に見えていないことや解明されていないことの方がずっと多い。例えば、神の存在を信じている人が君の親しい友人だとして、互いに向き合い、目と目を合わせて語り合う中で、君の思いを、それが仮に反対意見であったとしても相手のためを思って何かを言うのは道理に合っていると思う。どうあれそこには慈愛や善意があるからね。でも、直接面識のない人の信じていることを、自分の素性も明かさず匿名で揶揄したり皮肉ったり、信じているものを冒瀆するのは間違っていると思わない?そんなのは蚊帳の外に隠れて、一生懸命心の平穏を保とうとして手入れしている庭に石を投げ込むようなものだよ。ましてや目に見えない世界のことや君自身がそれを真実かどうかを確かめる術がない時にはなおさらだ。自分にとって権威を感じる誰かが言っていたからとか、そんなものは何の理由にもならない。慈愛や善意をもって大勢の平和を願っている人が何を信じていようとも、それは人間の多様性の一環だし、認め合うべき部分の一つなんだ。地球外生命体には僕たちとはまったく姿形の異なる存在も多い。大いなる宇宙はそうした者たちが互いに認め合い、補い合い、分かち合って共存共栄しているんだ。それなのに、地球という惑星の中の同じ国民同士で足を引っ張り合うようなことをしているんじゃ、いつまでも慈愛や善意や思いやりに満ちた広大な宇宙世界に仲間入りすることなんてできやしないよ。もしもジャッジするタイミングがあるとしたらそれば、その人が君に近づいてきて、その宗教に無理矢理勧誘しようとしたり、君のお金とか財産とかを巻き上げようとした時だ。そうではなくて慈愛や善意で大勢の幸福を願って何かを信じているのだったら、君はその宗教を信仰しないとしても、彼の信仰心を認めて受け入れるべきだよ。これは、地球人として進化し発展するための大切な一歩なんだよ。これは何でもかんでも無条件で受け入れようっていう意味じゃなくて、もっと関心を寄せて広い世界に見聞を広めようということなんだ。」

「お金も権力も何もかもが虚構なのに人々はごく限られた目に見えるものばかりに囚われ、恐怖や不安で飼い慣らされている。このまま気付かずにこれまでと変わらず社会の主流に同調し続けるのか?心の声に耳を傾け、思考を深めて、真理を追求し始めるのか?どちらを選ぶのも自由意志が尊重されているけれど、どこの国が、どの宗教がなんて括られているうちは、人々はいつまでも支配や争いの的のままだ。神や大いなる存在は慈愛や善意、光に満ちていて、よほど不合理なことでない限りは寛容に受け入れて、人々の自由を尊重している。人間もいきなりそこまで高い水準を目指そうと思うとそこは目を開けていられないほど眩し過ぎて耐えきれないかもしれないし、何か劣等感のようなものに苛まれて自分のこれまでの行いを悔やんでも悔やみきれずに自分で自分を追い込んでしまうかもしれない。君のお母さんのようにね。でも本当は誰も、何も無理して自分が窮屈に感じるほど高望みする必要はないんだ。だって誰しも自由を尊重されているからね。でも、心と頭と体、感情と思考と行動はできるだけ一致させていくように心がけた方がいい。一人一人が神や大いなる存在に尊重されている唯一無二の存在なんだから、自分で自分を蔑ろにしちゃダメだ。内面に目を向け、耳を傾けて、心を大切にしながら他者や社会や自然との折り合いが取れるバランスについて考えを重ねていくんだ。それは自分自身を大切にしているのと同じことになるからね。できる時に少しずつでいいんだ。でもそれは神の視点と同じになることなんだよ。そうした存在になることを心の片隅で意識しているだけで、いつか、自然と大いなる存在に近づくことができるんだよ。」

晴人はこれまで見えていなかったものが見えてくればくるほど、どれほど巨大な虚構の中に囲われているのか、そして、人類の存在する意味や意義や意図がくっきりと顕現するのを実感せずにはいられなかった。それにしても、この虚構を築こうと思い立った者は、どうしてこれほど長期的に、あらゆるものを巻き込む計画を考えついたのだろう?願わしくない人智を超えた存在の成せる業か、と晴人は深いため息を漏らした。

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